HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

絞り込み

54件

2019/04/01

25アワーズホテル ザ・サークル(ドイツ・ケルン)

コラム最終回は、私の第2の故郷となったドイツをメインに、メトロポールの5ツ星ラグジュアリーホテルから田舎のプチホテルまで、様々なタイプのホテルを集めました。
スタジオ・アイスリンガーが手掛けたレトロフューチャーなケルン最新のデザインホテル「25アワーズホテル ザ・サークル」、ベルリンの「ウォルドーフ・アストリア」、『星の王子様』をテーマにしたバーデン・バーデンのロマンチックホテル「デア・クライネ・プリンツ」、マイセン磁器愛好家にはたまらないドレスデンの「ヒュペリオン・ホテル・ドレスデン・アム・シュロス」、トイトブルグの森の中にあるスパリゾート施設「グレーフリッヒャー・パーク・ヘルス&バランス・リゾート」に、ウィーンの「ラディソン・ブル・スタイルホテル」や「ル・メリディアン」。そして古城や変電所を改装した小さな田舎の宿等々、バラエティに富んだビジュアル内容を目指しました。

ドイツ

2019/03/01

グランド・ホテル・エ・デ・ミラン(イタリア・ミラノ)

このコラムをいつも御愛読いただき、本当にありがとうございます。
今年私が還暦という節目の年を迎えるにあたり、色々考えました結果、このコラムの連載を終了させていただくことになりました。
本当に長いことお付き合いいただきまして、ヘニングさん共々読者の皆様に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

そこでエピローグになりますが「紹介しそこなっていたけど、ここもなかなか素敵だったんですよ」というホテルをまとめて、2回に分けて写真をお見せしたいと思います。
本当は順に紹介するつもりだったのが、旅行から戻って忙しかったりするとついつい写真の整理を怠ってしまい、そのままになってしまっていたのです。コメントなしでビジュアルのみですが、インテリアの魅力は十分に伝わるのではないかと思います。

今回はミラノとヴェネツィアからです。ミラノはスカラ座にオペラを観に行くなら是非一度は泊まってみたい「グランド・ホテル・エ・デ・ミラン」と、ナヴィリオ運河沿いのとても雰囲気あるブティックホテル「メゾン・ボレラ」。ヴェネツィアは、ジュデッカ島の「バウアー・パラディオ・ホテル&スパ」、グランカナルに面した宮殿デザインホテル「シーナ・センチュリオン・パレス」と、歴史ある「ホテル・モナコ & グラン・カナル」、リド島のリバティスタイルの「グランデ・アルベルゴ・オーソニア&ハンガリア」です。

では、華々しくホテルの写真オンパレード、お楽しみください。

イタリア

2018/10/01

サイト・ホテル・マンハイム(ドイツ・マンハイム)

マンハイムにあるブティックホテル「サイト」は、中央駅のすぐ斜め前に位置し、鉄道利用の旅行者には願ってもない便利なロケーションにある。タッターザル通りとハインリッヒ・ランツ通りの交わる角、マンハイムに典型的な赤い砂岩の古典的なファサードが程よく威厳を放つ。市の保護法下に置かれる歴史的建造物をコンテンポラリーなホテル文化の香りで満たしたのは、「ホスピタリティ・ガイズ」と名乗るダニエル・シュテルンと、グレゴア・エアハルトのオーナーコンビだ。この2人にホテル総支配人のヨハネス・グレーブラーが加わり、「フレッシュ & テイスティなクラシック」をコンセプトに、全39室のホテル完成まで丸2年をかけてアイデアを練り上げていった。

このプロジェクトの特色は、プロのインテリアデザイナーにデザインを依頼せず、オーナー達が「セルフメイド!」を信条としたことにある。コンサルタントやギャラリストのアドバイスも不要だった。「自分達のホテルだから自分達でファニチャーやアクセサリーなど、何から何まで決めるのが楽しくて仕方ない。」とホテルのオープニング(2015年)前夜も3人は腕まくりし、ほぼ徹夜で内装作業に従事していた。アイデアは旅で生まれると、各地を旅し、様々な伝統芸術に喚起され、そこからもインテリアへのインスピレーションを得た。

ホテルに入って廊下の左には、スコットランドの古城の一室の雰囲気も漂うサロン。レセプションは右のバーラウンジの一部で、自転車のサドルのバースツールに腰掛けて、ちょっとドリンクでも注文するかのようにチェックインとなる。ホテルの心臓部は、そこから通りに面して空間が伸びる「サイトバー & ラウンジ」と、その奥にある劇場の舞台のようなベルベットの幕が開いて繋がるカジュアルダイニングの「フードクラブ」。コーヒーにもこだわり、サイトでしか味わえないオリジナルブレンドが開発された。インテリアは意識的にダークな重みのある色調と素材感で大人の感覚を大切にし、優しく包み込まれる空間に仕上がっている。ソファ類は座が比較的低く、高貴な印象のベルベットでも、ほっこりとリラックスできる座り心地だ。

インテリアにはマンハイムの歴史とアーバンライフの特徴が見え隠れすること、マンハイムらしさの魅力を表現することも目標だった。ホテルの壁を飾る歴史的写真の数々は、マンハイムでの偉大なる発明と、その発明者を物語る。自転車と自動車は、マンハイムと切っても切れない縁がある。カール・フォン・ドライスが、1813年に自転車の原型となった人力二輪車ドライジーネを発明披露し、カール・ベンツが発明した原動機付き三輪車が、1886年にマンハイムで初公開されたのだった。またサロンのタータンチェックの壁、部屋のベッドのイタリア産リネンの四角形パターン、バスルームのチェス盤パターンのタイルなどは、“マンハイムの四角形”(マンハイムの馬蹄形の中心市街が碁盤状に四角形に区画され有名なこと)のようで、インテリアにも様々な四角形が使われていて、それを発見するのもゲームみたいで楽しい。

エントランスのすぐ左脇にさりげなく、アンティークのシンガーの足踏みミシンが置かれてある。このミシンの脇を通る度、それは懐かしい気持ちになってミシンに触れたくなる。私がまだ子供だった頃、田舎の祖母が陽の当たる縁側に置かれていたこんなミシンで、ガタガタと枕カバーやこたつ布団を縫っていたものだ。私も祖母のミシンを使って、学校の家庭科で初めてパジャマを縫った。赤白ギンガムチェックの生地だった。このホテルでマンハイム文化にどっぷりつかると、あのパジャマまでマンハイム四角形へのオマージュだった気がしてくるから不思議だ。

ドイツ

2018/08/01

レ・コント・ド・メアン(ベルギー・リエージュ)

「レ・コント・ド・メアン」は5年にもわたる歴史的建物のリノベーションを経て、リエージュ初の5ツ星ホテルとして今から7年前にオープンした。モン・サン・マルタン通り9番地にあるセリ・ロンシャン館と、同じ通りの11番地にあるコント・ド・メアン館、この2つの間にある貴族の館の3館が、7階建ての新築客室棟を要に繋がり、ワロン地方でもユニークな形のホテルコンプレックスにトランスフォームされたのだった。20世紀初頭にセリ・ロンシャン男爵の所有となった館は、元々16世紀にリエージュ司教領を支配したド・ラ・マルク家の邸宅だったもの。メインエントランスがあるコの字型のメアン伯爵の館は、南ファサードの外壁など、15世紀までその建築史は遡るという。丘の斜面に建ち、30mもの高低差があるのもこの施設の特徴だ。以前はクラウンプラザ系ホテルだったが、チェーンのイメージと、ホテルの実際のラグジュアリーでエレガントなイメージが噛み合わないことを自覚し、今はチェーンから離れている。

インテリアはデザイナー&プロジェクトマネージャーのエリック・ゴフィンと、ベルギーの高級ホテルのインテリアで定評のあるドミニク・ミンゲットとのコラボレーションで実現させた。「光とサプライズに満ち、モダンと歴史を融合するインテリア」を目標にデザインされた。リエージュの街の歴史と、自然環境から形成されてきたアイデンティティを表現しながらも、明解にグローバルでもあるインテリア。コンテンポラリーな雰囲気に満ちていて、なおかつ特別な建築遺産としての古典的性格を維持する。そういう対立のデザインチャレンジに挑んだのだった。「真に美しくモダンなホテルを創り上げるために、歴史的要素と新しいデザインが様々な意味でどれだけバランスを保てるか、また許されるコストの範囲で自分のアイデアとコンセプトを妥協せず、確かに達成できるデザインを見出せるかということ、そしてリエージュ市民も“このホテルは私達のホテル”と自負できるよう、ゲストと住民の両方にアピールするデザインであることも重要なポイントでした。」とデザイナーは言う。

マテリアルの選択にも細心の注意を払い、環境に責任を持つ主義のメーカーの製品が使われ、例えば“人にやさしく地球環境にもやさしい製品”をつくり続けて80年の歴史を持つ、オランダのデッソ社(DESSO)のカーペットが部屋で足元を暖かくしてくれる。ストライプのカーペットは「シンフォニー」という音楽的な名前がついている。ヴァル・サン・ランベール社に代表されるように、ベネチアから彩色技法を、ボヘミアやイギリスからカット技法を導入し、リエージュの地方には17世紀から築かれてきた独自のクリスタルガラス工芸の伝統がある。そこで照明には地元のクリスタルも使われた。

エントランスホールを抜けると左手がバーで、14mのカウンターを照らすアールヌーヴォー調の唐草文様が入った清楚なホワイトのコリアン製大シェードが印象的だ。右手に黒のシェルフと牡丹色のチェアのコントラストが強烈なライブラリー。ここからも、客室へのエレベーター前からも、旧市街を見下ろす眺望が素晴らしい。レストラン「ラトリエ」(90席)はカジュアルなビストロスタイルで、天気が良ければ眺めのいいテラス席で朝食も可能だ。オーガニックなラインのベルベット素材で牡丹色の大胆なファニチャーが目を惹く。3色のネットのカーテンが日光をフィルターしてくれる。そしてピエール=ミシェル・ド・ロヴァンフォス(1745ー1821)作のフレスコ画や、壁の繊細なスタッコ装飾が見事なお城の広間のような淡いグリーンのシノワズリのスペースは、レセプションやパーティーに好んで利用される。

地下のバー「ラ・カーヴ」(16席)は、古い兵器庫内にある。ヴォールト天井のオリジナル空間構造を活かし、照明も効果的に配された。スパのプールからは、10世紀にも遡る城塞の壁が窓の外に見える。ゴージャスで各々に個性的なスイートが9室ある館は、階段室の見事な装飾に驚くばかりで、ナポレオン3世様式の装飾を完璧に修復し、再現した職人技術に拍手喝采を送りたい。スイートを予約していなくても、日中のほとんど誰もいない時間ならゆっくりと見学できる。客室(全125室)では壁に掛かる写真が何か特別なパワーを放っていて、一体これは誰が撮影?と思ったら、フランスの著名な報道写真家、国際的にも航空写真の第一人者というヤン・アルテュス・ベルトランの作品であった。ホテルで氏の写真にお目にかかったのは、ここが初めてである。

ホテルから石段を下りていけば、修改築を終え、煌びやかに蘇ったワロン王立歌劇場にも歩いていけるので、夜の観劇にも便利なロケーションだ。某エンブレムのことで揉めたのはこの劇場だったか?と一瞬ギクッとしたが、全然違うロゴマークだったので、安心してオペラを楽しむことができた。

ベルギー

2018/06/01

サー・ニコライ(ドイツ・ハンブルク)

ハンブルクの新しいランドマークとなったエルプフィルハーモニー。このコンサートホールの奇跡的建築が大磁力となり、ハンブルク観光は空前の大ブーム。新しいホテルが次々と開発され、今年だけでも14ホテルがオープンするという。昨年も様々なホテルがオープンしたが、その中でも「サー・ニコライ」は飛び抜けて個性的なブティックホテルだ。スタイリッシュであると同時に、どこかとてもアットホームな空気が流れる。ドイツの旅行雑誌『GEO saison』が「ヨーロッパの最も美しいホテルベスト100」を12年来毎年選出(フランスのデザイナー、マタリ・クラッセも審査員)しているが、今年のシティホテル部門で「サー・ニコライ」がナンバーワンに輝いたばかりだ。

ホテルはハンブルク旧市街ニコライ地区のニコライ運河に面する。商人と船人の守護聖人、聖ニコラウスの名をとったハンブルク最古の運河の1つで、この運河は中世のハンブルク港でここに着いた品々が船で沿岸の倉庫に運搬された。ホテルの建物も昔は農作物種子の倉庫だった時代もあった。ハンブルクの歴史的中心街と、世界文化遺産の倉庫街やエルプフィルハーモニーも建つ未来的なハーフェンシティ(エルベ河岸の旧港湾地区を再開発した街)との間に位置し、観光にもビジネスにも便利なロケーションだ。運河側はホテルの後ろ姿で、正面玄関はカタリーネン通りとなる。この界隈は再開発事業が進行中で、まだ寂れた感じもあり、ホテルはホットスポットだけど隠れ家的でもある。19世紀末にコントーアハウスと呼ばれる立派な商館になった建物で何度も改築され、ホテルに変貌する前は某保険会社の本社だった。ホテルのエントランス上にある石の美しい装飾的彫刻が、唯一そのまま保存されていた商館の建築エレメントとのことである。
「サー・ニコライ」はホテルマネジメントのEHPC 社(Europe Hotel Private Collection) 傘下で、アムステルダムを拠点に近年ベルリンやイビザ島にも進出を果たしているブティックホテルのニューブランド「サー・ホテルズ」に属する。オーナーはホテル経営者というより、ホテルカルチャー・クリエイターという方が似合っていそうなイスラエル出身のリラン・ウィズマン氏で、ホテルが街環境と融合し、街環境を刺激し、街の一部となることを理念に掲げる。ハイアットやマンダリンオリエンタルもクライアントというホスピタリティーデザインのエキスパート、アムステルダムのスタジオFGステイル(Colin Finnegan & Gerard Glintmeijer)がインテリアを担当した。

実際にサーの称号を持つニコライなる人物が存在し、ホテリエになったかのようなストーリー性がデザインのコンセプトになった。ニコライ氏は異国を巡り歩くロマンチックな旅人として歳月を過ごしていたが、ある日故郷の自由ハンザ都市ハンブルクに異色な旅土産の数々とともに帰還する。ハンブルク人に典型的な“ハンザ風”と言われるアンダーステイトメントで、且つダンディな紳士だ。想像上だけの架空の人物なのに、なんとなくニコライ氏にホテルのどこかでばったり遭遇しそうな気もしてくる。ニコライ氏が代々受け継いだアンティークや古美術に、自身の旅土産の異文化のアイテムと、コンテンポラリーなデザインファニチャー、それら異質のモノ達がデザイナーの才腕でエレガントに混在し、ニコライ氏の小宇宙をクリエートしている。1930年代のアールデコが北欧デザインと調和してもいる。オープニングの時にデザイナーから面白い発言があったと聞いた。「招待客の女性の大半がハイヒールで現れて嬉しい。新しい木の床は、ハイヒールが一番簡単に傷をつけて古くしてくれるから。どんな木でも古くなれば全て美しい。」使い込まれ古くなって増々深みが出てくるのを計算してデザインしてあるようだ。

エントランスのテラゾの床は、ヴェネツィアへの旅の思い出、運河を彩る宮殿の床を連想させる。地上から半階高くなっている1階の「スタディ」というスペースに大理石の階段を12段上る。ライブラリー、ロビーラウンジとレセプションが合体したサロン的な空間で、ホテルのロビーという雰囲気でなく、ハンブルクの由緒ある家のディナーに呼ばれて、まずはアペリティフでもいかが?と、リビングで会話を始めるようなイメージが浮かぶ。レセプションデスクが壁を背にせず、スペースの中央にアイランドのように配されているのもユニークだ。 続いてホテルの心臓部である「ザ・パティオ」の空間が開ける。パティオの名が示唆するように、かつての中庭がスチールコンストラクションのガラス張りの可動式の屋根で覆われた。宝石色のベルベットのゴージャスな椅子、重厚な書棚、大理石の暖炉。ここでは特にお茶は鉄瓶で、スイーツはお重に盛られる和風アフタヌーンティーが女性客に評判とのこと。パティオには、こちらも今人気のアジアンキッチン&バー「IZAKAYA」のテーブル席があり、晴天の夏の夜にはガラス屋根が開き、星空の下でディナーとなる。もはやソーセージより寿司?というくらいにドイツでも日本食がブームだけど、「IZAKAYA」はモダンな和食と南米ペルー料理との独創的フュージョン料理をハイエンドな居酒屋とでもいえるスタイルで楽しむ趣向だ。パティオから更に奥には、かつての倉庫空間を外壁と支柱だけ残して壁を取り除いた、よりカジュアルなショーキッチンのレストラン&360°のバー空間が広がる。最奥の外のテラス席は運河に浮かぶようだ。最も印象的なのが驚くほど長いテーブルと、ブラッシュアップで限りない光沢を得たステンレススチールの天井、エルベ川を北海へと流れる水をイメージしたのかもしれない。

客室は元々商館の小分けされたオフィスだった構造をそのまま利用し、改装時に壁を外したり移動したりしてはいない。よって広々としてはいないが限られたスペースにデザイナーのアイデアがいっぱい詰まっている。「サー・ブティック」から「サー・レジデンス」まで、5タイプ全94室の部屋のインテリアにもニコライ氏の趣味が反映する。特に真鍮のバーワゴンの存在感があった。クリーニングは毎日細かいところの作業が本当に大変だろう、ご苦労様です!バスルームはベッドルームと比べると、とても広々と感じられる。ダークな天然石の洗面ボウルに蛇口の上部が開いたウォーターフォールのスタイルの水栓が組み合わされた。日本庭園の情緒がなきにしもあらず。そしてトイレで便座に腰掛けふと気がつくと、葛飾北斎の浮世絵のプリントが飾られているではないか。こんな格好で眺めたことはなかったので記憶に刻まれ、この絵の富士山と桜の景色はもう忘れることはないだろう。

ラウンジではドリンクがサービスとのことで、クーラーに冷えたスパークリングワインのボトルを通りがけに発見してしまったのが良かったのか悪かったのか、他に誰もいなくて居心地が良過ぎたのもあって、バーでカクテルも飲んだ(「テンノー」とか「ハラキリ」なるカクテルも有)のに深夜までつい飲み続けてしまった。翌朝は朝食なしで予約しておいて良かったと、しみじみ思ったのだった。

ドイツ

2018/04/02

ホテル・ナポレオン(フランス・マントン)

コートダジュール最東端の小さな町マントンは「フランスの真珠」とも呼ばれるリゾート地。1880年代から英国やロシアの貴族やブルジョワの間で大人気となり、ヴィクトリア女王をはじめ、彫刻家のロダンや作曲家のリスト等もここを訪れ、マントンにはゴージャスなホテルや別荘が次々と建設されていった。「ホテル・ナポレオン」は、イタリアとの国境に通じる海岸通りを隔ててガラヴァン湾に臨み、夏にはマリンスポーツを楽しむリゾート客で賑わう。ホテルのエントランスにある4ツ星のサインが、星でなく蜜蜂形でユーモラスだが、そういえば蜜蜂は皇帝ナポレオンの紋章でもあったなあ、とホテルの名前からの遊び心と察した。

ホテルは1962年の創業で、5年程前に地中海の光に映える爽やかなホワイト&ブルーを基調にして全面改装され、コンテンポラリーなデザイン&アートホテルに変貌する。前庭の屋外温水プールも新しくなり、エコロジカルなソーラーヒーティングシステムとなった。インテリアはパリのジャン=フィリップ・ヌエルのスタジオが担当し、現在はインテリア事務所WeDesignを主宰するパスカル・ドゥイラールがプロジェクトマネージャーを務めた。

ホテルのまだ若いオーナーは、イギリス人のマシュー・ライキアマン。氏はイギリスからフランスに渡り、モダンな家具・インテリア雑貨のブランド「アビタ」(Habitat)を展開し成功させたマイケル&マーガレット・ライキアマン夫妻を両親に持つ。夫妻はマントンの丘の上にある世界的にもユニークなデザインのコロンビエール庭園に惚れ込み、5年の歳月と400万ユーロを投資して、荒廃した歴史的庭園の再生に尽力する。庭園は「庭はそれ自身の中に宇宙全体を持つ」というフェルディナン・バックの思想が実現されたもの。バックはメキシコの巨匠建築家ルイス・バラガンにも影響を与えたマルチクリエーターだった。

ライキアマンは両親から多くを学び、このホテルをつくり上げた。両親のコロンビエール庭園修復を手掛けたアルノー・モリエールとエリック・オサールが、ホテル・ナポレオンの独創的な憩いの庭をクリエートしてくれた。ブラジルが生んだ20世紀の革新的ランドスケープアーキテクト、ロベルト・ブーレ・マルクスに敬意を表したデザインで、2人の今日のガーデンデザインにかける情熱が、小さな亜熱帯性植物の生える庭にぎゅっと詰まっている。

この庭に面してガラス張りの空間が、朝食ルームでもある「ビエンナーレ・ラウンジ」だ。ビエンナーレと聞いてマントンと一体どういう関係が?と最初は頭を傾げてしまったのだが、1951年にマントンでフランス初の「絵画ビエンナーレ」が開かれていたのだった。第1回はデュフィ、第2回はルオー、第3回はマチスに捧げられていたという。ラウンジには、マントンとアートとの繋がりを今に伝え残すヴィンテージのオリジナルポスターのコレクションが展示される。

マントンはかつて多くのアーティストに愛された街。ホテル・ナポレオンは、そのマントンに魅せられたアーティスト達を愛するホテルだ。詩、絵画、映画、工芸デザインと、創造の分野を越えて活躍したフランスのマルチアーティスト、ジャン・コクトーもその1人、マントンで晩年を過ごし、自らの構想で自身の美術館をマントンの古い要塞に実現した。客室階へのエレベーターの扉が開くと、狭い階段室がまるで壮大なコクトー・ギャラリーの様で、壁のグラフィックデザインもコクトー独特の造形言語をアレンジしてある。オリジナル建築の1960年代の階段の手摺デザインも味わいがある。エレベーターで最上階まで行って階段を下りながら、ゆっくり時間をかけて鑑賞したい。コクトーだけでなく、他のアーティストの作品にも出会える。

マントンの市庁舎には、コクトーが手掛けた「結婚の間」が残る。世界でここにしかない総合芸術空間で、永遠の愛を誓うことができるのだ。1958年の建設当時はマントン市民のためだけであっただろうが、今では外国からの新郎新婦も少なくない。コクトーの芸術の中で結婚した後は、コクトーの芸術に囲まれるこのホテルのスイートに泊まるのもいい記念になりそうだ。ホテルのルーフトップ・スイートは1つがコクトー、もう1つはイギリスの著名な現代画家グラハム・サザーランドへのオマージュになっている。私達はやはりジャン・コクトーの方を選んで予約した。この日に見学したばかりの市庁舎の挙式場デザインのための習作や、様々なリトグラフ、国境付近での映画『オルフェの遺言』の撮影現場の写真(ルシアン・クラーグ作)に囲まれ、ベッドに横になるとコクトーに見つめられている気分にもなる。部屋の収納家具の扉の取手といい、ディテールにもコクトー風なデザインが顔を出す。

ホテルの44室はマウンテンビュー、シービュー、トロピカルガーデンビューの3パターンがある。その中でもスイートからのマントン旧市街とガラヴァン湾への眺望がやはり格別だ。広いテラスにはテーブル&椅子のセットだけでなく、デッキチェアも用意される。白いデッキチェアに白のタオルではなく、レモンの街マントンにぴったりなレモンイエローのタオルがさり気なく置いてあり、テラスのカラーアクセントになっている。スイートのバスタブからテラスの向こうに海を眺められるのも趣があっていい。夜景が素晴らしかったので、食事に出ると夜景を楽しむ時間が減ってしまうから、夕食代わりにワインを頼んで月見する。マントンにはじまり、最終日のニースまでコートダジュール5泊の旅だったけど、思い返すとホテルからの景色の美しさに釘付けになって満腹になっていたのか、毎晩ワインだけで夕飯を全然食べていなかったことに、後で気がついたのだった。

フランス

2018/02/01

サントン・グランドホテル・ レイロフ(ベルギー・ゲント)

冬のゲントの旧市街、霧が立ちこめるその夜景は、ベルギー象徴主義の絵画そのままで、まさに幻想の世界だ。レイエ川両岸には中世の栄華を偲ばせるギルドハウスが建ち並び、その雄姿を凍てついた水面に映し出す。また、18世紀の優雅な邸宅がベルギーでも屈指のデザインミュージアムだったり、19世紀のギスラン精神病院で現代美術展が開催されたりと、ゲントには歴史と現在が融合して独特の空気が漂う。

「サントン・グランドホテル・ レイロフ」(2011年オープン)もゲントならではのホスピタリティー空間で、白亜の砂岩を用いた18世紀のバロック建築に、今日のアートとデザインが融合する。中世の時代の市壁の外に位置するが、中心街までは歩いてほんの数分で、観光にもとても便利だ。ホテルになったルイ14世スタイルの館は1724年、裕福な商家の子息で詩人オリヴィエ・ド・レイロフ伯 (1684-1742)が建てた私邸だった。この館と付属の馬車庫は、歴史的建造物保護法の対象になっている。

オランダのサントン・ホテルブランドが着眼した時、この建物は落ちぶれてしまっていたが、そこに再び美しく生まれ変わらせる可能性を予測し、隣接する19世紀の館も獲得した上で、ホテル開発事業をスタートさせる。この隣接する館はとても意味がある家で、ゲントが誇る作家モーリス・メーテルリンクの生家ということだ。メーテルリンクに捧げて「青い鳥」(Blue Bird)と名付けられたプライベートユースのバーもある。インテリアはサントンホテル創業者(Gui de Vries)が総合監督役を務めた(オランダのインテリア事務所Willemien Van Aartsenとコラボレーション)。デザイナーズギルドやクリスティアン・ラクロワ・ブランドのテキスタイルや壁紙の選択、照明(Vaughan社、Delta Light社)の使い方に最大限のこだわりが感じられる。

見事に修復されたレイロフ伯邸の装飾豊かなホールやサロンがホテルのレセプション、ロビー、各種イベントルームに利用される。工芸美術館のようなリビングのアンピール様式の暖炉や、エントランスホールの螺旋階段、そのトロンプルイユのドーム天井画は、ため息がでるほど美しい。各々の間はゲント所縁の風景画家ヴァレリウス・デ・サーデレール(Valerius de Saedeleer)や、印象派画家エミール・クラウス(Emile Claus)等の名を借りている。ホテルのメインエントランスは18世紀の馬車口で、チェックインするのもレイロフ伯との文学談義か食事に招待され、レイロフ伯が待つサロンに案内される気分になる。しかしノスタルジックなだけでなく、エントランスから迫力のコンテンポラリーアートにも迎えられる。

中庭を抜けて昔は馬車が置いてあった建物には、小さなインドアプールやハマムもあるモダンなウェルネス&スパセンター(Zen Senses)が設けられている。夜には中庭に設置された巨大なカタツムリのライトオブジェクトが黄色に光り、なんともユーモラスである。

19世紀の館の通りに面した1Fの大空間を、色鮮やかでスタイリッシュなシャンパーニュ・バー&カフェラウンジと、グルメレストラン「ロフ」(Lof)が占める。レストラン名はレイロフのロフだが、同時にオランダ語での賞賛という意味も込めてあるようだ。バーのカウンターは11,000個のLEDライトで、夜は石のブロックが神秘的に光る。

通りからは見えないが、中庭に面した奥に新館もあり、ホテルの客室は全158室。せっかく選ぶなら、旧館の部屋の方がインテリアに深みがある。泊まったのはデラックスルームのカテゴリーで、部屋のドアを開けると紅白のストライプの壁紙に意表をつかれた。ダークブラウンの古い木組み構造との強いコントラストがとてもリズミカルだ。天井も高く、ベッドルームがリビングよりも数段高い舞台のようになっているのもユニークだった。バスルームで特にお気に入りだったのがトイレの壁。新しいブティックホテルで、トイレをまるで春の香りが漂ってくるような淡いピンクの花模様の壁紙で仕上げてある例は、皆無なのではないだろうか。ついトイレにお座りする時間が長くなってしまったのも仕方ない。

さて、ホテルは今年の夏に更にリニューアルされ、秋にオランダのラグジュアリー・ブティックホテルブランド「Pillows」のグランドホテルとして再オープンするとのニュースが出た。一体どんなふうにデザインが変わるのか(或は変わらないのか)、秋にまた行ってみたくなりそうだ。

ベルギー

2018/01/09

シュパイヒャー7(ドイツ・マンハイム)

フランクフルトから南方に向かうICEに乗って30分程、マンハイム中央駅が近づいてくると、窓の向こうにはライン川を背景に、ビッグスケールのグラフィティアートが現れ、目が釘付けになる。約1000本のスプレーを使って、700m²にも及ぶコンクリート壁面に、ドイツでも最大級のミューラル(壁画)がクリエートされた。パズルのように正方形に分解された謎めいた女性の顔が描かれる。それは「マンハイムの四角形」と呼ばれ、格子状に直交する道路で区切られるマンハイム独特の歴史的街構造を引用し、マンハイムの活発なカルチャーシーンを象徴する。独自のフォトリアリスティックなスタイルで、国際的に活躍するアンドレアス・フォン・フシャノフスキ(別名「Case」)の作品、これがライン河川港の旧穀倉を改修した建物に入るデザインホテル「シュパイヒャー7」(第7倉庫)の正面ファサードなのである。20室のみのプチホテルだが、この個性的なホテルは、開業した2013年にヨーロピアン・ホテルデザイン賞で、新築部門のブルガリホテル(ロンドン)と肩を並べて、改築部門のアーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー賞に輝いたのだった。ドイツ大統領をはじめ、ドイツのスター達もマンハイム滞在には、ここを利用している。

このプロジェクトは、ライン川の沿岸にある空き家状態の旧インダストリー建築を、再活性化させる目的の事業でもあった。港にはライン川観光クルーズ船も停泊する。今では信じられないかもしれないが、戦争勃発時のマンハイム市民の食糧確保のためにと、第2次大戦後、1950年代に緊急時用穀倉が建設され、1980年代まで実際にサイロいっぱいに穀物が保管されていたのだった。その後20年以上も用途不明の空き家状態だったのを、地元の建築家アンドレアス・シュムッカーが、いわば眠れるライン河岸の倉庫美女にキスして目覚めさせたようなもの。建築家は共同出資者と、計1000万ユーロをかけてプロジェクトを実現する。

ファサードを覆うのは、耐候性鋼材のコールテンスチール(フィンランド製)。波状で、時の経過とともに表面にきめ細かい錆を形成するが、必要以上の腐食が進まない優れた建材とのことだ。倉庫建築のインダストリアルな性格を表現すべきファサードは、みごとに美しく錆びを帯び、倉庫はマンハイムの港のランドマークになった。8階建ての倉庫は76mもの長い建物で、その約半分がコンクリートのサイロ空間だが、採算が合わないのでノータッチのまま残した。そのサイロ部分の窓のない閉じられた巨大なファサード面を利用し、ライン川側南西ファサード(グラフィティアートの反対側)には、エアコンに使う太陽エネルギーの光起電力パネルが設置された。プラスエネルギーのエコロジカルな建築で、つい先日もEU視察団が訪問したそうだ。

倉庫の最上階にシュムッカー & パートナーが設計事務所を構え、1階中央部に、夏はテラス席が大人気のライン川に面したレストラン、ホテルは建物北の部分を占め、1階にカフェバーとレセプション、2階 & 3階が客室。上階に法律事務所やIT企業が入居する。建物内は改修後もコンクリートの壁や床がオリジナルのままだが、港の倉庫のオーセンティックな魅力を引き出すよう、オリジナルのインダストリー建築の性格を消去せず、うまく活かすことに成功している。

ホテルは、フローリストというユニークな経歴の起業家ユルゲン・テカートと、ビジネスパートナーのトルステン・クラフトが共同経営している。建築家がプロジェクトのプレゼンテーション会場用に友人のテカートが花を注文し、それを届けにきたテカートが倉庫建築に一目惚れして、この空間であればホテルを是非やってみたいとなった。この頃は倉庫内にまだ狐が宿っていたという。テカートはまず2ヶ月間インドに滞在し、新たに決心を固めた後で、既にパートナーのクラフトとホテル用のファニチャー探しを始める。まだ投資家も揃っていなかったのに、モロッコでみつけたカーペットやファニチャーが、コンテナでマンハイムに運ばれた。そんな具合でインテリアにも隅々まで、ホテルに賭けた人間の情熱が伝わる。「花の多彩な色、花の多彩なフォルム、何でも自分がすることは、全て花の美しさがインスピレーションの本源にある。」というテカート。花が私達の感性を刺激するように、ホテルもゲストの感性を心地よく刺激する。テカート氏がインド文化に惹かれ、長年ヨガを実践していたので、ホテルにもヨガの部屋があり、ビジネス客が滞在中にヨガでリラックスしていく例が多い。

インテリアはハンブルクにショールームとオフィスを持ち、コンバースの欧州本社など、ヒップなプロジェクトを続々手がける「PLY」とコラボレーションした。レセプションの壁にはユーモラスに、ボンやビンゲンといった河川で繋がるドイツの10都市の時間を刻む時計が掛かる。バーカウンターの背後には、カラフルなアジアの神々の絵が並び、カラフルなパドルがアートワークのごとくラウンジの壁を飾る。倉庫建設時を追想するミッドセンチュリーモダン、モダンクラシック、コンテンポラリー、エスニック、全てがコラージュされ、1つのスタイルにはまらない。オープンした瞬間からまるでもう何十年もそうあってきたのか、ホテリエの旅のお土産でいっぱいの家にお呼ばれしたような気分になる。

部屋の窓から悠然と流れるライン川の光景を眺めていると、時間がそれはゆったりと心地よく過ぎていく。ギリシャの寝具メーカー「ココマート」(COCO-MAT)の100%ココナッツの乾燥した外皮というナチュラル素材のベッドなど、こだわりのアイテムが部屋のインテリアにもセレクトされている。コンクリートの床には、必要最低限にラグが敷いてある。部屋ごとにデザインも異なり、高さ12mのサイロがシャワーブースというスイートもある。アメニティはバスルームのインテリアの重要なエレメント、ここでもバスルームのシンプルなデザインとホテルのコンセプトにマッチするアメニティは?とリサーチした結果、トップモデルにも愛用者が多いオーストラリアのナチュラルコスメブランド、イソップ(Aesop)のプロダクトしかないと決まったという。

シュパイヒャー7の成功が認められ、経営者はマンハイムの旧米軍基地を再開発するプロジェクトにも参加することとなった。旧テイラー兵舎が130室のホテルになる。古い米軍兵舎から、一体どんなデザインホテルが生まれるのか期待したい。

ドイツ

2017/12/01

ソフィテル・フランクフルト・オペラ(ドイツ・フランクフルト)

フランクフルトのオペラ広場近くのホテル建設現場で、地下駐車場のために用地を掘っていたら、地下12mの深さに、誰も予期していなかった良好な状態で保存された2000年前の魚の化石が現れた。それはフランクフルトで発見された最古の化石。ホテル完成までのストーリーに、こんなエピソードは他にないだろう。ドイツの考古学者は大喜び!不動産開発業者はホテル建設作業を一時ストップするしかなく、化石の悪夢に頭を抱えることとなり、フランクフルト最新の5つ星ホテルは、当初の計画より2年も遅れてのスタートを余儀なくされたのだった。
(注:興味のある方は、こちらから化石の現物の写真を御覧になってください。http://www.fr.de/frankfurt/frankfurt-fossilienfund-weltnaturerbe-opernplatz-a-626947

「ソフィテル・フランクフルト・オペラ」は、2016年10月にフランス首相も参席して、オープニングを祝った。ベルリン、ミュンヘン、ハンブルクに次いで、ドイツで4軒目のソフィテルだが、ここフランクフルトでは、究極のロケーションを誇る。ホテルの名前が示唆するように、フランクフルトの中心で、ペガサスを屋根に冠し、雄姿を見せるアルテ・オーパー(旧:オペラ座)と、その広場に面する。空襲で破壊され、戦後はずっと“最も美しい廃墟”と呼ばれていた歌劇場(現:コンサートホール)は、1981年に19世紀末のオリジナルの姿に蘇生し、再び街の象徴的建築となる。その歴史的事業を成し遂げたティルマン・ランゲ・ブラウン & シュロッカーマン建築事務所が、ホテルの設計も担当した。オペラ座の建築美を表敬するかのように、時代を超えたエレガンスのホテル空間が広がる。

インテリアを一任されたのは、パリのスタジオMHNA。5代続くキャビネットメーカーの家に生まれ、自身もデザイナーであると同時に、木のマテリアルを知り尽くした職人でもあるマルク・エルトリシュ(Marc Hertrich)と、ランバンのメゾンで仕事をしていたニコラ・アドネ(Nicolas Adnet)の才腕コンビが率いる、ホスピタリティー分野で国際的に活躍する事務所だ。気張ったデザインでなく、贅沢なディテールに凝ったオートクチュールのスピリットを感じさせる。デザインはフランス独特の建築文化の1つ「オテル・パルティキュリエール」(Hôtel particulier)がインスピレーションの源となり、それが21世紀のフランクフルトにコンテンポラリー & クラシックに新解釈した。オテル・パルティキュリエールは17世紀、18世紀に貴族や富豪が建てた芸術文化の香り高い都市宮殿的な館のことで、パリには今も400軒ほどこの類いの建物が残るという。その典型的エレメントには豪華なシャンデリア、気品ある階段、サロン、メザニン、ギャラリー等が数えられる。ホテルのロビーラウンジは、パリのフォッシュ通りの「エヌリー美術館」のように、異国の美術工芸品をコレクションしてきた由緒ある家に招かれたような気分になる。チェックイン時には、レセプション背景を飾るフランス老舗壁紙工房ズベール社のモノクロームなパノラマ壁画にまず目を奪われてしまうだろう。

ソフィテルはプロジェクト毎に、デザインとその土地の文化の関係を築くよう試みているが、ここでは1749年、フランクフルトに生まれた文豪ゲーテもホテルコンセプトの1つのテーマになっている。ゲーテは20代半ばに、フランクフルトの銀行家シェーネマン家でのハウスコンサートで娘リリーと知り合い、恋に落ち、婚約までするが、両家の反対もあり、2人の愛は実ることがなかった。ホテルのバーは「リリーズ」(Lili’s)、彩り豊かなフレンチ・レストランは「シェーネマン」(Schönemann)と、ゲーテの生涯で最愛の女性だったと言われるリリー・シェーネマンに捧げられている。オランダの著名な写真家エルヴィン・オラフ(Erwin Olaf)による肖像がバーの壁に掛かり、若きゲーテとリリーを現代に蘇らせる。

ロビーとレストランを繋ぐ通路もただの廊下でなく、セラミックアートギャラリー空間のよう。ロビー上階のミーティング & イベントフロアでは、古代ギリシャ彫刻風のスターウォーズのキャラクター像で話題をさらったフランスのアーティスト、トラヴィス・ダーデン(Travis Durden)作の異彩を放つ肖像シリーズ「悪党どもの頭蓋骨」に歓迎されて、一瞬ぎょっとした。

バーカウンターの「カンサス」スツールを始め、ベルベットのミッドセンチュリーモダンなチェア等、ホテルの椅子類の多くは、ポルトガルの最高クオリティーのインテリアブランドBRABBUで特製された。

3Fから6Fに客室(119ルームに31スイートの全150室)が配され、120㎡のプレジデンシャルスイートには、フランクフルトを一望できる130㎡ものプライベートテラスまで付いているとのこと。TVの存在は部屋の美感をどうしても妨げてしまうが、ここではその問題の1つの解決方法が開発された。TVを見たいときだけ、開けばいい、ゲーテのファウストをモチーフにしたアートが、まるで壁にグラフィックを飾ってあるかのように、モニターを目隠しするというアイデアだ。洗面 & シャワールームと部屋の廊下やベッドルームとのパーテーションに配された2つの引き戸、両方を全開したり、片方だけ閉じたり、両方閉じたり、その開き具合や閉じ具合も様々で、ユーザーが好きな開閉状態にできて楽しい。

そしてサン=テグジュペリの『星の王子さま』が、ベッド脇のナイトテーブルに置かれているのに思わず「オー!」と声を上げて感激してしまった。「本質的なことは目ではみえない、心で見ないとね」何十年振りかでそんな素敵な言葉の数々を再読し、穏やかな気持ちで眠りにつくことができたのだった。

ドイツ

2017/10/02

ザ・リッツ・カールトン ウィーン(オーストリア・ウィーン)

ウィーン旧市街を囲むリングシュトラーセ(環状大通り)には、19世紀の美しい歴史的建物が次々と並ぶ。「ザ・リッツ・カールトン ヴィエナ」は、この環状大通りの東部に位置するシューベルトリングに面する。この辺りは市民公園に近く、ライフクオリティーの高さから、当時の富裕層が競って豪邸を建てた。
現在のホテルは歴史的建造物保護法下に置かれる個性的な宮殿的建築4棟が連結され、1つのホスピタリティ・コンプレックスを構成する。正面ファサードを見ると、建物によって窓の位置が異なり、ホテル館内のフロアに段差があるのも頷ける。ルネサンス、バロック、ゴシックをリバイバルさせた歴史主義の建築、その伝統と今日が融合する時を越えたラグジュアリーホテルだ。(43スイートを含む全202室)

コンプレックスは2005年まで、オーストリアの大手銀行に使われていた。改装され、5ツ星ホテルのオープニングを祝うまでの道は、容易ではなかった。(建築事務所:HOFFMANN - JANZ、Architekten FRANK & PARTNER)シャングリラホテル進出のはずが突然キャンセルとなり、1年半も幽霊屋敷だったのを思い出す。カザフスタンの投資グループが救い主となり、120ミリオンユーロで不動産を買い上げ、リッツ・カールトンを誘致できたのだった。

ホテルのロケーションは、空港からのアクセスがとても便利だ。ウィーン空港からCAT(シティエアポートトレイン)に乗り、ノンストップ16分でミッテ駅に着く。キャビンケースだけなら、そこからすぐ向かいのウィーン市立公園を散歩していき、10分もかからずホテルに着く。公園にはウィーン観光ガイドに必ず写真が載っている、ワルツの王様ヨハン・シュトラウスの黄金の像やシューベルトの像等があり、公園を抜けてすぐのベートーベン広場(ホテルの裏側)にはベートーベン記念碑と、ホテルへの道上でウィーンが誇る数々の有名な作曲家の像とご対面でき、宿に着く前に音楽の都に来たぞ!という実感を味わえたのも嬉しかった。

インテリアはペーター・ジリング&アソシエイツ・ホテルインテリアデザイン(Peter Silling & Associates Hotel Interior Design Ltd)が担当。カペラホテルグループなど多くの最高級ホテルを手掛け、以前はケルンを拠点にしていたが、現在は活動が国際的になり、香港に本社を構える。ジリングはカリフォルニアでデザインを学び、独立するまでミッソーニに6年勤務した。「グランドホテルはゲストがラグジュアリー度を五感で認識し、五感で経験できなければなりません。フォルム、マテリアル、空間コンポジションに対する好感、喜びを感性的に堪能できてこそ、居心地よく思われるのです。」と言う。

フィアカーと呼ばれる観光馬車や、スペイン式宮廷馬術学校のリピッツァナーという白馬など、ウィーン独特の馬文化。ロケーションのリングシュトラーセの環状道路の輪のフォルム。大通りの並木の木の葉。これらからインスピレーションされた「馬」「輪」「葉」の3つのテーマがインテリアにデザイン解釈された。

大通りから見て左前方、シューベルトリング5番地の建物は、1866年「貴族カジノ」として開館。(設計:ヨハン・ロマノ・リッター・フォン・リンゲ)カジノといっても今でいうカジノではなく、英国の紳士クラブをお手本にしたオーストリアの青年貴族や軍人の集いの場であった。今はホテルのメインエントランス、レセプション、ロビーラウンジ等になっている。
リング状のモダンなシャンデリアや壁を飾る馬の絵画、ホテルに入った瞬間からテーマが明らかになる。オールデイダイニングの「メラウンジ」(Melounge)、ウィーンならではのミルクコーヒーのメランジェを捩って名付けられたと察する。このロビーラウンジの壁はカラフルな木の葉の絵が飾られ、天井には3万ユーロ分の金箔で木の葉が描かれた。金を使ったのにはここにホテルの前身である銀行の金庫があったのを暗示してもいる。

右側前方のシューベルトリング7番地の古典的建物は、エルツェルト宮殿と呼ばれる。建築家アントン・エルツェルトが1865年に自邸として建設。今は通りに面して、カジュアルエレガントな最高級ビーフのレストラン「Dストリクト(DSTRIKT)・ステーキハウス」や「Dバー」(D-Bar)があり、夏はウィーンでシャニガルテンと呼ぶオープンテラスで賑わう。レストランでは12種類のステーキナイフから好きなのを選べるのがミソ。インパクトの強いマテリアルや色彩のコンビのバーは、クリエイティブなカクテルで、オーストリアの最有力グルメ雑誌のベストホテルバーに選ばれている。更に各種バンケットルームは「クリスタル」をテーマにデザインされ、エジプトから運ばれた2.5トンものクリスタルが壁を煌めかせる。

右後方ベートーベン広場2番地の建物は、1869年建築家フリードリヒ・シャハナー設計で、ボルケンシュタイン宮殿、悪よけに獅子の頭がファサードを飾る。

左後方ベートーベン広場3番地、ローマのファルネーゼ宮殿を模したファサードの建物に、ホテル内の建築的ハイライトが隠れる。修復された階段室は、上り下りを何度も繰り返してしまうほどの美しさ。かのウィーン楽友協会の天井画で有名なアウグスト・アイゼンメンガーによる天井画も印象深い。4Fホールの暖炉を飾るノアの箱船のレリーフも、国立工芸美術館でなく、ホテルにあるのが不思議なくらいの衝撃的作品である。ネオルネサンス様式のグートマン宮殿はカール・ティーツ設計で1871年に完成。オーストリア=ハンガリー帝国時代に石炭業者として富をなしたヴィルヘルム・リッター・フォン・グートマン家の館だったが、ユダヤ人のためナチスに略奪されるという悲劇が起こったのも史実である。
グリーク・キー(メアンダー雷文)の文様も床や客室の什器等にも多く登場する。フランツ=ヨゼフ皇帝が、帝国と自分の権力の象徴に好んで使った文様でもあり、ここでは古代ギリシャへの思慕を表し、無限、永遠、平和を象徴している。

ホテルは5年前にオープンして以来、世界のVIPにも愛され、ロビー・ウィリアムズもオーストリアのツアーでは、いつも家族とここに滞在。『ミッション・インポッシブル5』の撮影で、トム・クルーズも滞在している。ワールドプレミアの時は、ウィーンの街を一望できる屋上の「アトモスフィア・ルーフトップ・バー」(Atmosphere Rooftop Bar & Lounge)が貸し切りされた。この屋上テラスでは、シャンパーニュはマグナムボトルから注がれる。プレジデンシャルスイートは広さ190㎡、四季をテーマにした19世紀の天井画がリビングルームを見下ろす。階段室と同じアイゼンメンガーの名作で、まさに美術館に泊まるようである。私達には宝くじでも当たらなければ鑑賞不可能なこの天井画、こちらの動画でちょっとだけ御覧頂けます。
http://www.ritzcarlton.com/de/hotels/europe/vienna/rooms-suites/presidential-suite#fndtn-Video

オーストリア

2017/09/01

レルミタージュ・ガントワ オートグラフ・コレクション(フランス・リール)

ベルギーとの国境に近い、フランスの北の玄関都市リール。かつて中世にはフランドル領だった歴史と、伝統が今も残るノール=パ・ド・カレー地方の首府だ。そしてリール宮殿美術館(パレ・デ・ボザール)は、パリのルーヴル美術館に次ぐ、フランス第2の珠玉のヨーロッパ美術コレクションを誇る。この美術館見学にたっぷり時間をかけて楽しみたくて、一番利便性がよく、且つ魅力あるホテルを探して辿り着いたのが、この5ツ星のブティックホテル「レルミタージュ・ガントワ」だった。美術館までホテルから歩いて10分もかからない。多彩な個性を発揮し、新鮮で独創性に満ちた、インディペンデントホテルが名を連ねるマリオットホテルズの「オートグラフ・コレクション」に加盟している。

レルミタージュは、その建築空間の隅々から過去500年に渡る歴史が薫り、単にラグジュアリーホテルなだけでなく、泊まれる歴史博物館という印象だ。まさにタイムトンネルを抜けて探検する感覚で館内を見学すると、オリジナルに忠実に修復された部分と、コンテンポラリーに改装デザインされた部分との緊張感ある美しいハーモニーに感服してしまう。時の流れがマテリアルに染み込んでいる。

ホテルのフランドル様式のゴシック建築は、元々1462年に創設されたガントワという名のホスピス(施療院)であった。この施設を立ち上げたジャン・ド・ラ・カンブ(Jean de la Cambe)の愛称がガントワであった。中世ヨーロッパにおいて巡礼者が休憩宿泊できた教会、そして病気で旅を続けることができぬ者のケアもする慈善施設となり、看護にあたる聖職者の献身が、ホスピタリティの概念の基本となったわけである。ホテルの前身は、1995年まで終末期ケアのホスピスであった。そして大改装事業が敢行され、2003年にホテルとして生まれ変わる。15世紀のホスピス空間から、21世紀のホスピタリティ空間が開発された。

建築家ユベール・マース(Hubert Maes)やエリック・ティリオン(Eric Thirion)が率いるリールの設計事務所(MAES Architectes Urbanistes)が、修復・改修も含め、総合的建築デザインを手掛けた。リールを本拠地にするこの建築家集団は「アーバンランドスケープは、街の住民のニーズによって常に進化し、常に変化していく。歴史ある建物のユニークな性格をいかに保存し、その機能を現代のニーズに適応させて、都市の変化に組み込むかが課題だ」と考えている。都市の色あせた地区に新しい息吹をもたらし、ランドマークとなり得る荒廃してしまった歴史的建築に、新しい重要な役割を見いだすプロジェクトを得意とする。

そして更に新しく加わった施設が、ゴシックのフォルムを現代に解釈し直したアネックス「ザ・スパ」。青の洞窟の中で泳いでいるような神秘的プールもあり、ホテルのアーバンリゾート感を高める。錆びた金属板に、抽象的なグラフィックのような孔を開けたファサードのスカルプチャー的建築だ。

施設には、今も都市の喧噪を忘れベンチに腰掛け、本でも読みたくなる緑の中庭が複数残されている。そのなかで最も規模の大きい中庭がガラス屋根に覆われ、2層吹き抜けの広く開放感あふれるアトリウムのウィンタガーデン的バー空間に大変貌した。ホテルの心臓部、ミーティングポイントで昼はカフェ、夜はピアノバーになる。滞在時には、ハンドボール欧州選手権大会の開幕レセプションで、スポーティーに華やいでいた。

ハンドボール連盟のディナー会場にアレンジされたのは、その昔は病人ホールと呼ばれた施療院。15世紀のゴシック様式建築で、壁下層には18世紀のリール産のタイルが残る。ステンドグラスから差し込む光の色も美しい。アトリウムに隣接する礼拝堂(1666年建設)が、今は神聖な雰囲気を漂わせるサロンで、結婚式会場としても人気がある。昔、ホスピスは病気を治すというより、病人の苦しむ心を癒す施設だったから、祈りの場の礼拝堂は計り知れない意味を持っていたに違いない。

ホテルのインテリアはアン=ソフィー・モット(Anne-Sophie Motte)が担当、クラシックとコンテンポラリーが独特の感覚で調和する、上質のデザインをクリエイトした。17世紀の古いタピストリーが、ポップなアートと好対照を成す。私達のスタンダード(でも広々している)の部屋(全89室)は、淡いグレーに塗装された15世紀のオリジナル建築の天井のビームが、インテリアに深みを与え、ドアや壁がオーク材なのも特徴だ。ルイ15世スタイルの椅子と、スタルクがルイ15世スタイルを20世紀デザインに解釈したルイゴーストを対比させて使っているのもウィットに富んでいる。

私達は泊まるホテルで夕食をとることは皆無なのだが、ここでは「エスタミネ」という、パリや他のフランスの都市でも聞いたことがないお店のカテゴリーに好奇心が湧き、シーズンオフの週末だけの特別オファーで、ディナー付きパッケージを予約してみた。カジュアルでアットホームな雰囲気のフランドル風料理の店「レスタミネ・ガントワ・ブラッスリー・フラマンド」は、パリ通りとマルパール通りの角の最も左端にあたるホテル棟の1階と地下に位置する。エスタミネとは、パ・ド・カレーやピカルディ地方独特で、カフェと居酒屋とレストランが一緒になったような、昔から庶民の気さくな集いの場。元々は田舎風で、農家の用具や機材、農村の風景画などが配された内装の店だという。郷土料理を是非ということで、私のメインはムール貝、ヘニングさんは牛肉のビール煮(カルボナード・フラモンド)に決定。美味しい!しかしボリュームは前菜からして半端ではない。ワインもグラスでなく、1ボトル付き。頑張って食べきった。これだけお腹いっぱいだと朝食はパスしようかと思ったが、翌朝にブレックファストルームでもある「レストラン・ガストロミック・レルミタージュ」に行ってみると、赤とゴールドのヴォールト天井の優美な空間に魅了され、コーヒーを飲みながら夫婦でおしゃべりするうちに、あっという間に時間が過ぎていた。

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