ホテル情報
Hotel Esplanade Zagreb
- Add
- Mihanovićeva 1 10000 Zagreb Croatia
- TEL
- +385 (0)1 4566 666
- FAX
- +385 (0)1 4566 050
- info@esplanade.hr
- URL
- http://www.esplanade.hr
オリエント急行なくしては、このグランドホテル「エスプラナーデ」もザグレブに誕生することはありえなかった。パリとイスタンブールを結び、ヨーロッパ大陸を横断していた長距離豪華列車が、ザグレブを経由していたことに感謝したくなる素敵なホテルだ。20世紀初め、ザグレブには「パレス」というアールヌーヴォー様式のデラックスホテルがあったが、シンプロン・オリエント急行がザグレブにも停車するようになると、ヨーロッパ各国からのオリエント急行利用客のニーズに、パレス・ホテルだけでは対応できなくなり、よりデラックスな最新のホテルが必要となったのだ。
列車の乗り降りにも便利な中央駅のすぐ西隣に、荘厳な姿のグランドホテルが建設された。駅を出てすぐ左手、噴水のあるアンテ・スタルチェヴィチャ広場の向こうに見える宮殿のような外観が、ガイドブックにもよく掲載されている表顔だが、ホテルへの玄関口は、ミハノヴィチェヴァ通り(ホテルのスタッフに発音してもらうとこう聞こえた)に面している。クロアチア国歌「私たちの美しい故国」を作詞した、19世紀の詩人アントゥン・ミハノヴィチの名を冠した通りだそうだ。ロビーから見ると、メインエントランスの上部にはノスタルジックな時計が7つ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、ロンドン、ザグレブ、モスクワ、東京、シドニーの各々の時間を指す。中央のザグレブ時間を指す大時計は、まるで今でもオリエンタル急行の発車時刻を待つ気分にさせてくれるのだった。
クロアチアの建築家ディオニス・スンコ(Dionis Sunko)の設計で、建設に2年を費やし、1925年4月22日にアールデコの珠玉のインテリアに輝くホテルがオープンする。今のホテルのエレガントなバーの「1925」という名前にもその歴史が語られる。創業時の最初のゲストとして、ビジネスマンのグリュック氏の名が記録されている。グリュックは幸運という意味。グリュック氏がホテルにも幸運をもたらしてくれるようにと。エスプラナーデには最先端のモダンな設備が整い、200客室に100のバスルーム、電話も完備され、水栓からはいつの時間でもお湯が流れた。全てに洗練されたホテル、中欧で最もファッショナブルなホテルと評判になり、マダムと若きジゴロとの情事の舞台ともなり、映画になりそうな様々な恋愛ドラマのエピソードも残されている。
そんな華やかな時代に第二次世界大戦が終わりを告げ、悲しいことにドイツ軍ゲシュタポに陣取られた。ウェイターの中には、パルチザンのためにドイツ軍をスパイし、それがみつかって射殺された者もいたという。イタリアの作家 クルツィオ・マラパルテも戦時中に滞在し、執筆活動をしていた。戦後はまず貧しい人々のための給食場となり、復興後再びホテルとしてゲストを歓迎したのは1957年のこと。オーソン・ウェルズ、アニタ・エクベルク、アーサー・ミラー、エリザベス女王、マリア・カラス、U2、ブライアン・フェリーetc、、、とエスプラナーデのゲストブックに名を連ねる歴代の著名人は数えきれない。クロアチアが1991年に、ユーゴスラビアから独立宣言し紛争勃発となった時は、このホテルがプレス関係者のヘッドクオーターとなった。ヴコヴァルの戦いで、故郷のため命を失った兵士には、ホテルの従業員もいたという。ホテルの壮麗な階段を上り下りしていると、そういう歴史を大理石が静かに語ってくれるようだった。
21世紀に相応するグランドホテルとして新たな再スタートを切るために、2002年にホテルはいったん閉業となる。リニューアルプロジェクトは2年近くにも及んだ。オーストリアの設計事務所ATPアーキテクツ & エンジニアズと、ロンドンのMKVデザイン事務所(ギリシャ出身のマリア・ヴァフィアディスが主宰)のコラボレーションで、オリジナル建築の装飾ディテールも、1920年代に戻ったように美しく修復され、クラシック、アールデコ、モダンが調和するデザインが実現された。
「ジンファンデルズ」レストランの女流シェフのアーネ・ギルギッチや、バーテンダー / ミクソロジストのステチュカ・ショッホ(みんなに“ステチュカ”とだけ名前で呼ばれる)も、クロアチアでナンバーワンとの定評がある。夏には「オレアンダー(夾竹桃)」というテラス席も人気だ。でもなぜアメリカの赤ワインのジンファンデルがザグレブのレストランの名前に?と思ったら、ジンファンデルは元々クロアチアで栽培されていたツーリエンナーク・カーステラーンスキーという舌を噛みそうな名のぶどうからできるワインで、その苗木が19世紀にアメリカに渡ったのが、ジンファンデルの起源だったのだ。
予約したのは最もリーズナブルなスーペリアルームだったが、ザグレブに出かけたのが真冬のシーズンオフだったのが幸いしたのか、「とても眺めのいいお部屋にアップグレードさせて頂きましたよ」と、他の5つ星ホテルならスイートでも不思議ないラグジュアリーな部屋に案内された。部屋のデザインで最も印象に残ったのが、実はバスルームの床である。グリーン & ベージュの幾何学的なパターンの大理石、日本で言う鱗文様だ。歯磨きをしながら、足元の鱗文様を眺めていると、歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』で、清姫が蛇体となったのを象徴する鱗文様の衣裳を思い出し懐かしくなり、夜中にザグレブで、娘道成寺をユーチューブで検索してしまったのだった。
2015/05/07時点の情報です