HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

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4件

2019/03/01

グランド・ホテル・エ・デ・ミラン(イタリア・ミラノ)

このコラムをいつも御愛読いただき、本当にありがとうございます。
今年私が還暦という節目の年を迎えるにあたり、色々考えました結果、このコラムの連載を終了させていただくことになりました。
本当に長いことお付き合いいただきまして、ヘニングさん共々読者の皆様に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

そこでエピローグになりますが「紹介しそこなっていたけど、ここもなかなか素敵だったんですよ」というホテルをまとめて、2回に分けて写真をお見せしたいと思います。
本当は順に紹介するつもりだったのが、旅行から戻って忙しかったりするとついつい写真の整理を怠ってしまい、そのままになってしまっていたのです。コメントなしでビジュアルのみですが、インテリアの魅力は十分に伝わるのではないかと思います。

今回はミラノとヴェネツィアからです。ミラノはスカラ座にオペラを観に行くなら是非一度は泊まってみたい「グランド・ホテル・エ・デ・ミラン」と、ナヴィリオ運河沿いのとても雰囲気あるブティックホテル「メゾン・ボレラ」。ヴェネツィアは、ジュデッカ島の「バウアー・パラディオ・ホテル&スパ」、グランカナルに面した宮殿デザインホテル「シーナ・センチュリオン・パレス」と、歴史ある「ホテル・モナコ & グラン・カナル」、リド島のリバティスタイルの「グランデ・アルベルゴ・オーソニア&ハンガリア」です。

では、華々しくホテルの写真オンパレード、お楽しみください。

イタリア

2011/09/01

ホテル・プリンチペ・ディ・サヴォイア (イタリア・ミラノ)

「プリンチペ・ディ・サヴォイア」はミラノの共和国広場に臨み、そのネオクラシックなファサードからもホテルの風格と歴史が漂う。以前はちょっとインテリアも埃をかぶってしまった感の否めなかったグランドホテルが、ここ数年かけて見事なトランスフォーメーションを成し遂げた。フェラガモやカッシーナというイタリアを代表する老舗ブランドが誕生したのと同じ1927年の創業である。平成5年には天皇皇后両陛下もお泊まりになったそうである。昔も今も変わらず世界中のセレブ達に愛される。昨年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞に輝いたソフィア・コッポラ監督の新作で、セレブライフに虚無感を抱き始めるハリウッドスターの父親と、思春期の娘との複雑な心の交流を描いた『SOMEWHERE』のロケにも使われ、映画の成功とともに改めてホテルへの注目度も増したようだ。

2003年にブルネイ投資庁が所有する都市のランドマーク的最高級ホテルの「ドーチェスター・コレクション」に仲間入りし、5000万ドルをかけて、次第にトータルリニューアルが敢行される。回転ドアからエントランスのロトンダに足を踏み入れると、左右対象の銅色のメタルのネットに覆われたウォールエレメントと、ゴールドの花飾りコラムに迎えられ、ベルベットのカーテンの向こうには、1930年代のアールデコの劇場が隠れている印象を受ける。

ティエリー・デスポンが手掛けたロビーラウンジの「イル・サロット」は、より明るく、よりフレンドリー、より彩りも豊かに変貌した。デスポンはNYを拠点に活躍するフランス人建築家で、過去には「自由の女神」修復の監修という世紀のプロジェクトを任された経験も持つ。プリンチペでは「エキサイティングでイノベイティブな感覚をクリエートすると同時に、伝統と歴史への敬意も表現することがチャレンジだった」という。家具もカーペットも全てがオリジナルデザインで、イタリアのファブリック(ルベリ社やC&Cミラノ社)やイタリアの革(コルティーナ・レザー社)をマテリアルに、インテリアの全てにイタリア職人芸の粋が集まる。ラウンジのデザインは、トスカーナ地方の庭園や独特の柔らかい光にインスピレーションされ、コンテンポラリーとクラシックがバランス良くブレンドされた。

本格的イタリア料理のレストラン「アカント」は、ミラノとロンドンにスタジオを持つチェレステ・デルアンナのデザイン。セレブの豪華ヨットのインテリアでまず名を成したデザイナーである。カスタムメードのムラノガラスのクラシックな照明と、光のムードを時間帯によって変化できる最先端のLEDの照明システム(オスラム社とのコラボレーションで開発)が、新旧の融合で雰囲気を出すのに大きく効果している。シャンデリア上部の天井には、ガラスファイバーとスワロフスキー・クリスタルの光の冠が配される。アラン・デュカスともコラボレーションしている屈指の専門家、ポール・ヴァレがレストランのショーキッチンを設計した。噴水からの水音も、清々しい庭園の席も落ち着く。

最上階まで上ると、プール付きのエレガントなフィットネス&ウェルネスセンター「クラブ10」。一汗かいた後はルーフテラスでリンゴをかじりながらミラノの街を一望できる。スカラ座のバレエのスターダンサー、ロベルト・ボッレもこのクラブを利用しているらしい。

一番リーズナブルなクラシック・プレミアムルームから、映画『SOMEWHERE』にも出てくるポンペイの壁画の様式で装飾されプライベートプールもある500㎡の広大なプレジデンシャルスイート(14500ユーロ)まで、ホテルは10フロアに全401室。そのうち132室がスイートになっていて、デヴィット・ベッカムがACミランに移籍中は、9Fのロイヤルスイートがベッカムの“わが家”だったそう。広場に面したフロントの部屋はデラックスモザイクルームと呼ばれ、白大理石のよりコンテンポラリーなバスルームに美しいモザイク画がデザインされている。

泊まったのは、ロンドンのフランチェスカ・バスのデザインによるデラックス・プレミアムルーム。ドアや調度品は、18世紀にインタルジア(寄木細工)の著名なマイスターだったジョゼッペ・マッジョリーノのスタイルを受け継いで製作された。優しいカラートーンのネオクラシックなインテリアの中で、ダマスト織りを始め、イタリアの絹織物の伝統と精緻の職人技術を実感できる。部屋の壁にはヴェルディのオペラ「アイーダ」の譜面が飾られ、それを眺めていると是非とも夜はスカラ座に行きたくなってしまうだろう。広いバスルームは大理石のマテリアルの美しさに捧げたデザイン。壁と床に深緑の大理石と赤系の大理石とで大胆な幾何学パターンが描かれる。アクア・ディ・パルマのアメニティのレモン色が爽やかだ。シャワーのパーティションもドアも透明ガラスで、主役の大理石が隠れることがない。

ホテルのロケーションはドゥオーモ広場からはちょっと離れているが、15分おきぐらいに中心街へのシャトルサービスが用意され、とても便利だ。ピカピカに磨かれたメルセデスベンツのリムジンカーに乗るなんて最初で最後かも。それも運転手さん付きで、、。数分だけ車内でVIP気分に浸り、美術展を梯子して、スカラ座のチケットオフィスで半分冗談に今夜の分はあるか聞いたら、冗談でなくゲルギエフ指揮でプッチーニの「トゥーランドット」の平土間席チケットがあった。イタリアの演劇界で実験的な作品で絶賛されているというジョルジョ・バルベリオ・コルセッティ監督の新演出ということで、前喜びも大きい。それが幕を開けたらどこに新しい解釈が?どこに実験精神が?と、最後の最後まで余りにも退屈でがっかりしてしまった。前回のバレエの時もはずれだったし、スカラ座とは相性が悪いのだろうか。チケット代を考えると、このまま部屋に戻っても落ち込みそうで、バーで元気回復することにした。

「プリンチペ・バー」のリニューアル前は「ウィンターガーデン・バー」と呼ばれていて、フローラルなステンドグラスの天井が、その代名詞的インテリア要素だったが、ティエリー・デスポンは勇敢にもこの天井を消滅させ、それはムラノガラスのシャンデリアをスパークリングさせた。「自由の女神」のトーチデザインや、ハリー・ウィンストンの宝飾サロンプロジェクトでデスポンとコラボレーションしているアメリカのガラス作家ロバート・ドゥグレニエールのデザインで、3000個ものパーツに構成される。グランドピアノのリム(側板)をラップして背もたれとしたユニークなシートが、センターピースとなっている。壁のアートはミンモ・ロテラの作品。せっかくだから何かプリンチペでしか味わえないカクテルでもということで、ヘニングさんはウォッカマティーニと生牡蠣のコンビネーションで「オイスター・マティーニ」をセレクト。私は「ソーニョ」というイタリア建国150周年を祝う記念カクテルに決めた。テーブルに置かれたのは夕焼け雲のピンク色のカクテル。シチリアのタロッコオレンジ、トスカーナのガリアーノリキュール、ヴェネトのプロセッコと、南・中央・北と、イタリア全土がシェイクされていた。カクテルの名前は「夢」を意味するそう。ほろ酔いになってくるとシャンデリアのマジカルな光にスーッと吸い込まれてしまいそうな夢心地になるのだった。

イタリア

2009/08/01

カ・サグレード・ホテル(イタリア・ヴェネツィア)

ヴェネツィアのカナル・グランデ(大運河)に面した宮殿ホテルは数あるけれど、他のどの宮殿ホテルでも体験できない総合芸術空間を体験できるのが「カ・サグレード」。ホテルというよりは国立美術館に滞在するようなものだ。リアルト橋とカ・ドーロの間に位置し、ヴェネツィアの胃袋を支えるリアルト市場を対岸に臨む。ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロやセバスチアーノ・リッチ、ピエトロ・ロンギといった17世紀18世紀のヴェネツィアが誇る芸術家の筆触と色彩が天井や壁を埋め、優美で壮麗なることこの上ない。サグレード館は25年間も空き家のまま放置されていたのが7年を越える修復、改装プロセスを経て2007年5月にホテルに生まれ変わった。館内一部は国の文化財として保存されている。

建物は元々由緒あるモロシーニ家の15世紀の宮殿を17世紀半ばに、後にドージェ(元首)となるニコロ・サグレードが買い上げ、18世紀まで代々の主人が改築改装を重ねる。最後は一族の誰が宮殿を相続するかで壮絶な争いが続いたとのこと。サグレード家はヴェネツィア共和国の興亡の歴史と深く関わっている著名な貴族の一族。ブダペストの保護聖人で11世紀にハンガリーのキリスト教化に貢献し殉死した修道士の聖ゲラルド・サグレードやガリレオ・ガリレイの親友で「天文対話」にも登場するジョヴァンニ・フランチェスコ・サグレードも祖先にあたる。

18世紀に住んでいたザッカリア・サグレードはルネサンス時代からの絵画800作品に2000作品の素描や銅版画とそれは素晴らしいプライベートコレクションを築いた。ザッカリアの究極のロココ装飾の寝室インテリアはなんと大西洋を渡ってニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵となっている。建物の1Fはまだビザンチンからゴシックへの過渡期のスタイルで、ピアノ・ノビレ(2Fにあたる主階)への階段室から華のバロック・ロココの世界が広がる。大階段室はアンドレア・ティラーリの設計、智天使の大理石像(フランチェスコ・ベルトス作)が階段の手摺からゲストを歓迎する。壮大なフレスコ画はオリュンポスの神々と戦った巨人族が最後に稲妻によって自らの神殿の下敷になるという巨人族没落の運命をピエトロ・ロンギが描いた。夕方からは照明効果で空間がよりドラマチックになり巨人や神々が語りだすかだ。階段を降りてくる貴婦人の絹のドレスの衣擦れ音が響いてきそうだ。ヴェネツィア栄華物語が空間から聞こえてくる。ヴェネツィアにはヴェネツィアだけに通用する時計で時間が流れているのだろう。

階段を上がるとポルテーゴと呼ばれ正面中央の窓から建物後方まで続く縦長のサロン、ここからカナル・グランデを一望できるバルコニーに出る。神聖ローマ皇帝レオポルト2世(マリーアントワネットの実兄)が1791年にカナル・グランデでレガッタを開催した時このバルコニーから観覧されたという。バンケットルームの「音楽の間」も天井も壁もガスパーレ・ディツィアーニと弟子達のフレスコ画に覆われ、建築が天空まで届くかの騙し絵の下で、アポロ、ビーナス、ジュピターと神々に囲まれながらのディナーも可能だ。カウンターテナーの鋼鉄の天使のような歌声を響かせてみたい。一ヵ所だけカモフラージュの壁画があり、その隠し扉から愛人が舞踏会の最中に他のゲストに気がつかないようにサグレード卿の私室に忍べる通路に繋がっていたという。

パブリックスペースは圧倒される美しさでこんな宮殿の中ならもうどんなお粗末な部屋でも夢心地だと思って部屋に入るとダブルルームでもジュニアスイートに格上げしたいくらいに広くインテリアも建築に呼応する優雅さ。全42室の客室は同一のインテリアはなく織物や調度品の木彫りのディティール等、ヴェネツィアの伝統的な職人芸が生きている。うち24室がスイートで特に「歴史的スイート」の中にはヴェネツィアのバロック建築で最も美しいと評されるスタッコ装飾を堪能できる部屋がある。執政官だったジェラルド・サグレードがプライベートな余暇を過ごした部屋で、アッボンディオ・スタージオとカルポフォーロ・マゼッティ・テンカッラのファンタスティックなスタッコ芸術。見学して写真を撮りたかったのだが残念ながら空いていない。明日はチェックアウトだから明日の午後ならお見せできると言われても、明日の午後はもうハノーファーの自宅でコンピュータとにらめっこしている。スタッコの豹が天井の隅にお座りするスイートを一目でいいから見たかった。

さてバスルームはクラシックでかつ機能的。明るいグレーの大理石とステンレスの水栓金具やガラスはオーソドックスな組み合わせだが相性が良い。とてもユニークだったのがスタンド式のハンドタオル掛け、このスタイルのタオル掛けをホテルで見たのは初めてだった。空間のアクセントにもなっている。(個人的にはバスルームにまでテレビは置かなくていいと思う。)ひと風呂浴びた後はリアルト橋近くのワイン屋でプロセッコを、近くの店でトラメッツィーニ(サンドイッチ)を買い込みリビングコーナーで夜のピクニック気分に浸る。
翌朝ブレックファーストルームに降りていくと、「ドージェの間」にも「ティエポロの間」にも他に誰もゲストがいない。ドージェだったニコロ・サグレードの肖像画がその昔には壁に掛かっていたという「ドージェの間」でまずは目覚ましにコーヒーを頂く。パステルカラーでバタークリームのデコレーションケーキの香りがしてきそうなスタッコ装飾に縁取られたニコロ・バンビーニの天井画を見上げる。月桂冠を戴く太陽神アポロが逃げるダフネを追いかけているのだろうか。さて1杯目のコーヒーを飲み終えても他に入って来るゲストはいない。それではと2杯目のコーヒーは「ティエポロの間」に移った。ヴェネツィア派最後の巨匠ティエポロはこの宮殿のために複数の作品を制作したが、相続問題が絡み散り散りに売却されヴェネツィアを讃えるこの天井画だけが唯一こうして残っている。

ヴェネツィアに数ある教会の中でもサン・フランチェスコ・デラ・ヴィーナ教会はヴェネツィアの守護聖人聖マルコの伝説と深く関わる由緒ある教会だが、ここにティエポロのフレスコ画で有名なサグレード家の礼拝堂がある。この教会は日本人でもウェディングできるようで、ティエポロのフレスコ画に囲まれ挙式してサグレード宮殿でハネムーン出来たらロマンチックだろうな、などと考えていると、昨年ロンドンのクリスティーズでティエポロの未公開作品『フローラ』が競売にかけられたニュースを思い出した。フランスのある城主が自分の子供達に描かれた婦人の乳房を見せたくないと屋根裏に隠して世から忘れられてしまっていたという肖像画で、約4億円で落札された。するとこの天井は一体何億円になるのだろう?と俗な疑問も頭をかすめ、何度も天井を見上げてばかり。スペイン王宮やヴュルツブルク司教宮殿のティエポロの天井画の下ではまさかこのようにゆで卵の殻を剥いたりパンにマーマレードを塗ることは許されない。可能な限りスローに食べて朝食タイムが終わるまでしぶとく居座ったのだった。

イタリア

2009/06/18

ヒルトン・モリノ・スタッキー・ベニス・ホテル(イタリア・ヴェネツィア)

ヴェネツィアでジュデッカ運河を通るヴァポレット(水上バス)に乗ると「あの得体の知れない建物は一体何なのだろう?」と、ヴェネツィアの大運河を彩る宮殿群とは全く性格の違う煉瓦建築が気になって仕方なかった。調べてみると19世紀末のネオゴシックの建物はモリノ・ストゥッキーという旧製粉所&パスタ工場で、その経緯はわからないが、なぜかハノーファーの建築家エルンスト・ヴレコップ(Ernst Wullekopf 1858-1927)がヴェネツィアの珠玉のインダストリー建築を設計していた。

ハノーファーで私が住む同じ通りにヴレコップの手掛けたギルデ・ビール醸造所があり、工場というよりは教会のようなステンドグラスの窓を横目で見ながら毎日歩いて仕事場に通っている。"煉瓦ゴシック"と呼ばれ北ドイツ独特の装飾的なインダストリー建築だ。ひょっとして施主のストゥッキーはこのビール工場の美しさに惚れ込んで建築家に声をかけたのだろうか。

20世紀末にはヴァポレットからでもこの建物の荒廃は顕著で、マンモス幽霊屋敷の様になっていった。3ヘクタールにも及ぶ広大なコンプレクス(13の建物で構成される)が再開発され、住宅(100世帯)、ヴェネツィア最大のコングレスセンター、ラグジュアリーな「ヒルトン・モリノ・スタッキー・ベニス・ホテル」(380室)として輝きを取り戻すとはほとんど奇跡に近い。ザッテレ経由でサン・マルコ広場とはホテルのシャトルボートで往復できるので観光にも不便はない。インテリアはスターウッド・ホテル&リゾーツ・ワールドワイドに属するデラックスホテルのプロジェクトで経験豊かなローマの事務所HDC Interior Architecture + Designが担当した。

ヴェネツィア本島に渡らなくてもここだけで丸一日過ごせるだろう。一番古い工場の建物にあるカジュアルなレストラン「イル・モリノ」で朝食ビュッフェ、ジュデッカ島を散策してお昼は運河を見ながらバー&ラウンジ「リアルト」で軽く、中庭で読書でもして屋上プールで一泳ぎ、夕食は洗練されたレストラン&バー「アローミ」でモダンなヴェネツィア伝統料理、夜は「スライライン・バー」の屋上テラスでスペクタクルな眺めを摘みにスプリッツを飲む。スプリッツはオレンジリキュールのアペロールにプロセッコまたは白ワインとミネラルウォーターで割ったヴェネツィアならではの爽やかなドリンクだ。

ホテルの庭には創設者ジョヴァンニ・ストゥッキー(Giovanni Stucky 1843 - 1910)の胸像が残されている。ストゥッキーはジュデッカ島の西端に元尼僧修道院(SS.Biagio e Cataldo)跡地を買い上げ、1883年にシンプルな煉瓦の立方体の蒸気製粉所を開設する。1500人の工員が24時間ノンストップで1日250トンもの小麦粉を生産していた。需要は増えるばかりの大成功で、増築が必要になり新築が完成。当時ヴェネツィアの建設協議会からヴェネツィアの建築伝統と調和しないと厳しい批判もあったという。20世紀に入ってパスタ工場も新築され、ついにはイタリア最大で最もモダンな設備の製粉所に発展する。ストゥッキーは最後にヴェネツィア駅で刺殺されてしまう。

第二次世界大戦でドイツ軍が製粉所を押収。1955年に工場閉鎖が決定するが、この時最後の500人の労働者が6週間も抗議して工場を占拠する事件まで起きている。続く何十年かは再利用のアイデアもなく建物は老朽化の一途を辿った。やっと再開発事業が軌道に乗り、ホテル建設工事も始まって間もなく火事が発生し旧穀倉は外壁が運河に崩れ落ちてしまうというショッキングな事故も乗り越えねばならなかった。

"部屋の窓からの眺めフリーク"な私としては部屋に入ってまずは「ジュデッカ運河の景色が少しでも見えるかな?」と、レースカーテンを開けようとしたら、カーテンの取り付け部分がちょっとお粗末なフィニッシュで壊れかけている。軽くシャワーを浴びてリフレッシュしようと思うとシャワールームの継ぎ目部分が盛り上がって変色している。オエーッと冗談でなく気持ちが悪くなった。これは黒カビではないのか。でもここまでカビが繁殖するにはかなりの月日を要するはずだが、誰も気がつかなかったのだろうか?クロアチアの安ホテルで夜中にトイレに行って電気をつけた途端に蟻がウロウロしていてギョッとしたことはあったが、5つも星が付いているホテルだと再認識して唖然としてしまった。まあでもバスタブにもシャワーが付いているし、シャワールームには目をつぶろうかとバスタブの方に移動すると今度はシャワーホースのメタルのカバーが緩んで中のホースが見えなんとも惨めな姿になっている。一番お得なネット料金で予約したから?まさかそんな差別はあるはずがない。お部屋チェンジ!今度はバスルームも清潔で、ホッ。お詫びにとホテルのマネージャーからプロセッコのボトルがサービスされたのは良かったのだが、グラスを手にジュデッカ運河に乾杯と窓際に立つとカーテンは前の部屋よりもっと壊れていた。この経験で改めてバスルームの清潔性と日頃からの設備チェックの重要さを実感。特にチェーンの場合はチェーンに属する全てのホテルに対する信頼の土台がほんの小さなことで揺らいでしまう。

部屋を出てホテル建築探検の散歩に出る。ホテル空間は5年に及ぶ困難だった修復・再建・改装(Francesco Amendolagine教授の監督でStudio CRR / Centro Ricerche Restauroが実施)の成果。建築ディテールのひとつひとつにストゥッキー製粉所の歴史と製粉所にまつわる人々の運命を追想できる。それにしても建築とインテリアのギャップを感じる。静かな中庭とも繋がるカンピエロ・ロビーラウンジでゆっくりしようとソファに身を沈める。と、テーブルやファニチャーのまだ新しい化粧板が剥げていたり角が破損しているのがあちこちで目についた。使い込んで深みのある傷みではない。なんだか薄っぺらな表面だけのインテリア・クオリティーで建築がかわいそうになってきた。

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