HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

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20件

2019/04/01

25アワーズホテル ザ・サークル(ドイツ・ケルン)

コラム最終回は、私の第2の故郷となったドイツをメインに、メトロポールの5ツ星ラグジュアリーホテルから田舎のプチホテルまで、様々なタイプのホテルを集めました。
スタジオ・アイスリンガーが手掛けたレトロフューチャーなケルン最新のデザインホテル「25アワーズホテル ザ・サークル」、ベルリンの「ウォルドーフ・アストリア」、『星の王子様』をテーマにしたバーデン・バーデンのロマンチックホテル「デア・クライネ・プリンツ」、マイセン磁器愛好家にはたまらないドレスデンの「ヒュペリオン・ホテル・ドレスデン・アム・シュロス」、トイトブルグの森の中にあるスパリゾート施設「グレーフリッヒャー・パーク・ヘルス&バランス・リゾート」に、ウィーンの「ラディソン・ブル・スタイルホテル」や「ル・メリディアン」。そして古城や変電所を改装した小さな田舎の宿等々、バラエティに富んだビジュアル内容を目指しました。

ドイツ

2018/10/01

サイト・ホテル・マンハイム(ドイツ・マンハイム)

マンハイムにあるブティックホテル「サイト」は、中央駅のすぐ斜め前に位置し、鉄道利用の旅行者には願ってもない便利なロケーションにある。タッターザル通りとハインリッヒ・ランツ通りの交わる角、マンハイムに典型的な赤い砂岩の古典的なファサードが程よく威厳を放つ。市の保護法下に置かれる歴史的建造物をコンテンポラリーなホテル文化の香りで満たしたのは、「ホスピタリティ・ガイズ」と名乗るダニエル・シュテルンと、グレゴア・エアハルトのオーナーコンビだ。この2人にホテル総支配人のヨハネス・グレーブラーが加わり、「フレッシュ & テイスティなクラシック」をコンセプトに、全39室のホテル完成まで丸2年をかけてアイデアを練り上げていった。

このプロジェクトの特色は、プロのインテリアデザイナーにデザインを依頼せず、オーナー達が「セルフメイド!」を信条としたことにある。コンサルタントやギャラリストのアドバイスも不要だった。「自分達のホテルだから自分達でファニチャーやアクセサリーなど、何から何まで決めるのが楽しくて仕方ない。」とホテルのオープニング(2015年)前夜も3人は腕まくりし、ほぼ徹夜で内装作業に従事していた。アイデアは旅で生まれると、各地を旅し、様々な伝統芸術に喚起され、そこからもインテリアへのインスピレーションを得た。

ホテルに入って廊下の左には、スコットランドの古城の一室の雰囲気も漂うサロン。レセプションは右のバーラウンジの一部で、自転車のサドルのバースツールに腰掛けて、ちょっとドリンクでも注文するかのようにチェックインとなる。ホテルの心臓部は、そこから通りに面して空間が伸びる「サイトバー & ラウンジ」と、その奥にある劇場の舞台のようなベルベットの幕が開いて繋がるカジュアルダイニングの「フードクラブ」。コーヒーにもこだわり、サイトでしか味わえないオリジナルブレンドが開発された。インテリアは意識的にダークな重みのある色調と素材感で大人の感覚を大切にし、優しく包み込まれる空間に仕上がっている。ソファ類は座が比較的低く、高貴な印象のベルベットでも、ほっこりとリラックスできる座り心地だ。

インテリアにはマンハイムの歴史とアーバンライフの特徴が見え隠れすること、マンハイムらしさの魅力を表現することも目標だった。ホテルの壁を飾る歴史的写真の数々は、マンハイムでの偉大なる発明と、その発明者を物語る。自転車と自動車は、マンハイムと切っても切れない縁がある。カール・フォン・ドライスが、1813年に自転車の原型となった人力二輪車ドライジーネを発明披露し、カール・ベンツが発明した原動機付き三輪車が、1886年にマンハイムで初公開されたのだった。またサロンのタータンチェックの壁、部屋のベッドのイタリア産リネンの四角形パターン、バスルームのチェス盤パターンのタイルなどは、“マンハイムの四角形”(マンハイムの馬蹄形の中心市街が碁盤状に四角形に区画され有名なこと)のようで、インテリアにも様々な四角形が使われていて、それを発見するのもゲームみたいで楽しい。

エントランスのすぐ左脇にさりげなく、アンティークのシンガーの足踏みミシンが置かれてある。このミシンの脇を通る度、それは懐かしい気持ちになってミシンに触れたくなる。私がまだ子供だった頃、田舎の祖母が陽の当たる縁側に置かれていたこんなミシンで、ガタガタと枕カバーやこたつ布団を縫っていたものだ。私も祖母のミシンを使って、学校の家庭科で初めてパジャマを縫った。赤白ギンガムチェックの生地だった。このホテルでマンハイム文化にどっぷりつかると、あのパジャマまでマンハイム四角形へのオマージュだった気がしてくるから不思議だ。

ドイツ

2018/06/01

サー・ニコライ(ドイツ・ハンブルク)

ハンブルクの新しいランドマークとなったエルプフィルハーモニー。このコンサートホールの奇跡的建築が大磁力となり、ハンブルク観光は空前の大ブーム。新しいホテルが次々と開発され、今年だけでも14ホテルがオープンするという。昨年も様々なホテルがオープンしたが、その中でも「サー・ニコライ」は飛び抜けて個性的なブティックホテルだ。スタイリッシュであると同時に、どこかとてもアットホームな空気が流れる。ドイツの旅行雑誌『GEO saison』が「ヨーロッパの最も美しいホテルベスト100」を12年来毎年選出(フランスのデザイナー、マタリ・クラッセも審査員)しているが、今年のシティホテル部門で「サー・ニコライ」がナンバーワンに輝いたばかりだ。

ホテルはハンブルク旧市街ニコライ地区のニコライ運河に面する。商人と船人の守護聖人、聖ニコラウスの名をとったハンブルク最古の運河の1つで、この運河は中世のハンブルク港でここに着いた品々が船で沿岸の倉庫に運搬された。ホテルの建物も昔は農作物種子の倉庫だった時代もあった。ハンブルクの歴史的中心街と、世界文化遺産の倉庫街やエルプフィルハーモニーも建つ未来的なハーフェンシティ(エルベ河岸の旧港湾地区を再開発した街)との間に位置し、観光にもビジネスにも便利なロケーションだ。運河側はホテルの後ろ姿で、正面玄関はカタリーネン通りとなる。この界隈は再開発事業が進行中で、まだ寂れた感じもあり、ホテルはホットスポットだけど隠れ家的でもある。19世紀末にコントーアハウスと呼ばれる立派な商館になった建物で何度も改築され、ホテルに変貌する前は某保険会社の本社だった。ホテルのエントランス上にある石の美しい装飾的彫刻が、唯一そのまま保存されていた商館の建築エレメントとのことである。
「サー・ニコライ」はホテルマネジメントのEHPC 社(Europe Hotel Private Collection) 傘下で、アムステルダムを拠点に近年ベルリンやイビザ島にも進出を果たしているブティックホテルのニューブランド「サー・ホテルズ」に属する。オーナーはホテル経営者というより、ホテルカルチャー・クリエイターという方が似合っていそうなイスラエル出身のリラン・ウィズマン氏で、ホテルが街環境と融合し、街環境を刺激し、街の一部となることを理念に掲げる。ハイアットやマンダリンオリエンタルもクライアントというホスピタリティーデザインのエキスパート、アムステルダムのスタジオFGステイル(Colin Finnegan & Gerard Glintmeijer)がインテリアを担当した。

実際にサーの称号を持つニコライなる人物が存在し、ホテリエになったかのようなストーリー性がデザインのコンセプトになった。ニコライ氏は異国を巡り歩くロマンチックな旅人として歳月を過ごしていたが、ある日故郷の自由ハンザ都市ハンブルクに異色な旅土産の数々とともに帰還する。ハンブルク人に典型的な“ハンザ風”と言われるアンダーステイトメントで、且つダンディな紳士だ。想像上だけの架空の人物なのに、なんとなくニコライ氏にホテルのどこかでばったり遭遇しそうな気もしてくる。ニコライ氏が代々受け継いだアンティークや古美術に、自身の旅土産の異文化のアイテムと、コンテンポラリーなデザインファニチャー、それら異質のモノ達がデザイナーの才腕でエレガントに混在し、ニコライ氏の小宇宙をクリエートしている。1930年代のアールデコが北欧デザインと調和してもいる。オープニングの時にデザイナーから面白い発言があったと聞いた。「招待客の女性の大半がハイヒールで現れて嬉しい。新しい木の床は、ハイヒールが一番簡単に傷をつけて古くしてくれるから。どんな木でも古くなれば全て美しい。」使い込まれ古くなって増々深みが出てくるのを計算してデザインしてあるようだ。

エントランスのテラゾの床は、ヴェネツィアへの旅の思い出、運河を彩る宮殿の床を連想させる。地上から半階高くなっている1階の「スタディ」というスペースに大理石の階段を12段上る。ライブラリー、ロビーラウンジとレセプションが合体したサロン的な空間で、ホテルのロビーという雰囲気でなく、ハンブルクの由緒ある家のディナーに呼ばれて、まずはアペリティフでもいかが?と、リビングで会話を始めるようなイメージが浮かぶ。レセプションデスクが壁を背にせず、スペースの中央にアイランドのように配されているのもユニークだ。 続いてホテルの心臓部である「ザ・パティオ」の空間が開ける。パティオの名が示唆するように、かつての中庭がスチールコンストラクションのガラス張りの可動式の屋根で覆われた。宝石色のベルベットのゴージャスな椅子、重厚な書棚、大理石の暖炉。ここでは特にお茶は鉄瓶で、スイーツはお重に盛られる和風アフタヌーンティーが女性客に評判とのこと。パティオには、こちらも今人気のアジアンキッチン&バー「IZAKAYA」のテーブル席があり、晴天の夏の夜にはガラス屋根が開き、星空の下でディナーとなる。もはやソーセージより寿司?というくらいにドイツでも日本食がブームだけど、「IZAKAYA」はモダンな和食と南米ペルー料理との独創的フュージョン料理をハイエンドな居酒屋とでもいえるスタイルで楽しむ趣向だ。パティオから更に奥には、かつての倉庫空間を外壁と支柱だけ残して壁を取り除いた、よりカジュアルなショーキッチンのレストラン&360°のバー空間が広がる。最奥の外のテラス席は運河に浮かぶようだ。最も印象的なのが驚くほど長いテーブルと、ブラッシュアップで限りない光沢を得たステンレススチールの天井、エルベ川を北海へと流れる水をイメージしたのかもしれない。

客室は元々商館の小分けされたオフィスだった構造をそのまま利用し、改装時に壁を外したり移動したりしてはいない。よって広々としてはいないが限られたスペースにデザイナーのアイデアがいっぱい詰まっている。「サー・ブティック」から「サー・レジデンス」まで、5タイプ全94室の部屋のインテリアにもニコライ氏の趣味が反映する。特に真鍮のバーワゴンの存在感があった。クリーニングは毎日細かいところの作業が本当に大変だろう、ご苦労様です!バスルームはベッドルームと比べると、とても広々と感じられる。ダークな天然石の洗面ボウルに蛇口の上部が開いたウォーターフォールのスタイルの水栓が組み合わされた。日本庭園の情緒がなきにしもあらず。そしてトイレで便座に腰掛けふと気がつくと、葛飾北斎の浮世絵のプリントが飾られているではないか。こんな格好で眺めたことはなかったので記憶に刻まれ、この絵の富士山と桜の景色はもう忘れることはないだろう。

ラウンジではドリンクがサービスとのことで、クーラーに冷えたスパークリングワインのボトルを通りがけに発見してしまったのが良かったのか悪かったのか、他に誰もいなくて居心地が良過ぎたのもあって、バーでカクテルも飲んだ(「テンノー」とか「ハラキリ」なるカクテルも有)のに深夜までつい飲み続けてしまった。翌朝は朝食なしで予約しておいて良かったと、しみじみ思ったのだった。

ドイツ

2018/01/09

シュパイヒャー7(ドイツ・マンハイム)

フランクフルトから南方に向かうICEに乗って30分程、マンハイム中央駅が近づいてくると、窓の向こうにはライン川を背景に、ビッグスケールのグラフィティアートが現れ、目が釘付けになる。約1000本のスプレーを使って、700m²にも及ぶコンクリート壁面に、ドイツでも最大級のミューラル(壁画)がクリエートされた。パズルのように正方形に分解された謎めいた女性の顔が描かれる。それは「マンハイムの四角形」と呼ばれ、格子状に直交する道路で区切られるマンハイム独特の歴史的街構造を引用し、マンハイムの活発なカルチャーシーンを象徴する。独自のフォトリアリスティックなスタイルで、国際的に活躍するアンドレアス・フォン・フシャノフスキ(別名「Case」)の作品、これがライン河川港の旧穀倉を改修した建物に入るデザインホテル「シュパイヒャー7」(第7倉庫)の正面ファサードなのである。20室のみのプチホテルだが、この個性的なホテルは、開業した2013年にヨーロピアン・ホテルデザイン賞で、新築部門のブルガリホテル(ロンドン)と肩を並べて、改築部門のアーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー賞に輝いたのだった。ドイツ大統領をはじめ、ドイツのスター達もマンハイム滞在には、ここを利用している。

このプロジェクトは、ライン川の沿岸にある空き家状態の旧インダストリー建築を、再活性化させる目的の事業でもあった。港にはライン川観光クルーズ船も停泊する。今では信じられないかもしれないが、戦争勃発時のマンハイム市民の食糧確保のためにと、第2次大戦後、1950年代に緊急時用穀倉が建設され、1980年代まで実際にサイロいっぱいに穀物が保管されていたのだった。その後20年以上も用途不明の空き家状態だったのを、地元の建築家アンドレアス・シュムッカーが、いわば眠れるライン河岸の倉庫美女にキスして目覚めさせたようなもの。建築家は共同出資者と、計1000万ユーロをかけてプロジェクトを実現する。

ファサードを覆うのは、耐候性鋼材のコールテンスチール(フィンランド製)。波状で、時の経過とともに表面にきめ細かい錆を形成するが、必要以上の腐食が進まない優れた建材とのことだ。倉庫建築のインダストリアルな性格を表現すべきファサードは、みごとに美しく錆びを帯び、倉庫はマンハイムの港のランドマークになった。8階建ての倉庫は76mもの長い建物で、その約半分がコンクリートのサイロ空間だが、採算が合わないのでノータッチのまま残した。そのサイロ部分の窓のない閉じられた巨大なファサード面を利用し、ライン川側南西ファサード(グラフィティアートの反対側)には、エアコンに使う太陽エネルギーの光起電力パネルが設置された。プラスエネルギーのエコロジカルな建築で、つい先日もEU視察団が訪問したそうだ。

倉庫の最上階にシュムッカー & パートナーが設計事務所を構え、1階中央部に、夏はテラス席が大人気のライン川に面したレストラン、ホテルは建物北の部分を占め、1階にカフェバーとレセプション、2階 & 3階が客室。上階に法律事務所やIT企業が入居する。建物内は改修後もコンクリートの壁や床がオリジナルのままだが、港の倉庫のオーセンティックな魅力を引き出すよう、オリジナルのインダストリー建築の性格を消去せず、うまく活かすことに成功している。

ホテルは、フローリストというユニークな経歴の起業家ユルゲン・テカートと、ビジネスパートナーのトルステン・クラフトが共同経営している。建築家がプロジェクトのプレゼンテーション会場用に友人のテカートが花を注文し、それを届けにきたテカートが倉庫建築に一目惚れして、この空間であればホテルを是非やってみたいとなった。この頃は倉庫内にまだ狐が宿っていたという。テカートはまず2ヶ月間インドに滞在し、新たに決心を固めた後で、既にパートナーのクラフトとホテル用のファニチャー探しを始める。まだ投資家も揃っていなかったのに、モロッコでみつけたカーペットやファニチャーが、コンテナでマンハイムに運ばれた。そんな具合でインテリアにも隅々まで、ホテルに賭けた人間の情熱が伝わる。「花の多彩な色、花の多彩なフォルム、何でも自分がすることは、全て花の美しさがインスピレーションの本源にある。」というテカート。花が私達の感性を刺激するように、ホテルもゲストの感性を心地よく刺激する。テカート氏がインド文化に惹かれ、長年ヨガを実践していたので、ホテルにもヨガの部屋があり、ビジネス客が滞在中にヨガでリラックスしていく例が多い。

インテリアはハンブルクにショールームとオフィスを持ち、コンバースの欧州本社など、ヒップなプロジェクトを続々手がける「PLY」とコラボレーションした。レセプションの壁にはユーモラスに、ボンやビンゲンといった河川で繋がるドイツの10都市の時間を刻む時計が掛かる。バーカウンターの背後には、カラフルなアジアの神々の絵が並び、カラフルなパドルがアートワークのごとくラウンジの壁を飾る。倉庫建設時を追想するミッドセンチュリーモダン、モダンクラシック、コンテンポラリー、エスニック、全てがコラージュされ、1つのスタイルにはまらない。オープンした瞬間からまるでもう何十年もそうあってきたのか、ホテリエの旅のお土産でいっぱいの家にお呼ばれしたような気分になる。

部屋の窓から悠然と流れるライン川の光景を眺めていると、時間がそれはゆったりと心地よく過ぎていく。ギリシャの寝具メーカー「ココマート」(COCO-MAT)の100%ココナッツの乾燥した外皮というナチュラル素材のベッドなど、こだわりのアイテムが部屋のインテリアにもセレクトされている。コンクリートの床には、必要最低限にラグが敷いてある。部屋ごとにデザインも異なり、高さ12mのサイロがシャワーブースというスイートもある。アメニティはバスルームのインテリアの重要なエレメント、ここでもバスルームのシンプルなデザインとホテルのコンセプトにマッチするアメニティは?とリサーチした結果、トップモデルにも愛用者が多いオーストラリアのナチュラルコスメブランド、イソップ(Aesop)のプロダクトしかないと決まったという。

シュパイヒャー7の成功が認められ、経営者はマンハイムの旧米軍基地を再開発するプロジェクトにも参加することとなった。旧テイラー兵舎が130室のホテルになる。古い米軍兵舎から、一体どんなデザインホテルが生まれるのか期待したい。

ドイツ

2017/12/01

ソフィテル・フランクフルト・オペラ(ドイツ・フランクフルト)

フランクフルトのオペラ広場近くのホテル建設現場で、地下駐車場のために用地を掘っていたら、地下12mの深さに、誰も予期していなかった良好な状態で保存された2000年前の魚の化石が現れた。それはフランクフルトで発見された最古の化石。ホテル完成までのストーリーに、こんなエピソードは他にないだろう。ドイツの考古学者は大喜び!不動産開発業者はホテル建設作業を一時ストップするしかなく、化石の悪夢に頭を抱えることとなり、フランクフルト最新の5つ星ホテルは、当初の計画より2年も遅れてのスタートを余儀なくされたのだった。
(注:興味のある方は、こちらから化石の現物の写真を御覧になってください。http://www.fr.de/frankfurt/frankfurt-fossilienfund-weltnaturerbe-opernplatz-a-626947

「ソフィテル・フランクフルト・オペラ」は、2016年10月にフランス首相も参席して、オープニングを祝った。ベルリン、ミュンヘン、ハンブルクに次いで、ドイツで4軒目のソフィテルだが、ここフランクフルトでは、究極のロケーションを誇る。ホテルの名前が示唆するように、フランクフルトの中心で、ペガサスを屋根に冠し、雄姿を見せるアルテ・オーパー(旧:オペラ座)と、その広場に面する。空襲で破壊され、戦後はずっと“最も美しい廃墟”と呼ばれていた歌劇場(現:コンサートホール)は、1981年に19世紀末のオリジナルの姿に蘇生し、再び街の象徴的建築となる。その歴史的事業を成し遂げたティルマン・ランゲ・ブラウン & シュロッカーマン建築事務所が、ホテルの設計も担当した。オペラ座の建築美を表敬するかのように、時代を超えたエレガンスのホテル空間が広がる。

インテリアを一任されたのは、パリのスタジオMHNA。5代続くキャビネットメーカーの家に生まれ、自身もデザイナーであると同時に、木のマテリアルを知り尽くした職人でもあるマルク・エルトリシュ(Marc Hertrich)と、ランバンのメゾンで仕事をしていたニコラ・アドネ(Nicolas Adnet)の才腕コンビが率いる、ホスピタリティー分野で国際的に活躍する事務所だ。気張ったデザインでなく、贅沢なディテールに凝ったオートクチュールのスピリットを感じさせる。デザインはフランス独特の建築文化の1つ「オテル・パルティキュリエール」(Hôtel particulier)がインスピレーションの源となり、それが21世紀のフランクフルトにコンテンポラリー & クラシックに新解釈した。オテル・パルティキュリエールは17世紀、18世紀に貴族や富豪が建てた芸術文化の香り高い都市宮殿的な館のことで、パリには今も400軒ほどこの類いの建物が残るという。その典型的エレメントには豪華なシャンデリア、気品ある階段、サロン、メザニン、ギャラリー等が数えられる。ホテルのロビーラウンジは、パリのフォッシュ通りの「エヌリー美術館」のように、異国の美術工芸品をコレクションしてきた由緒ある家に招かれたような気分になる。チェックイン時には、レセプション背景を飾るフランス老舗壁紙工房ズベール社のモノクロームなパノラマ壁画にまず目を奪われてしまうだろう。

ソフィテルはプロジェクト毎に、デザインとその土地の文化の関係を築くよう試みているが、ここでは1749年、フランクフルトに生まれた文豪ゲーテもホテルコンセプトの1つのテーマになっている。ゲーテは20代半ばに、フランクフルトの銀行家シェーネマン家でのハウスコンサートで娘リリーと知り合い、恋に落ち、婚約までするが、両家の反対もあり、2人の愛は実ることがなかった。ホテルのバーは「リリーズ」(Lili’s)、彩り豊かなフレンチ・レストランは「シェーネマン」(Schönemann)と、ゲーテの生涯で最愛の女性だったと言われるリリー・シェーネマンに捧げられている。オランダの著名な写真家エルヴィン・オラフ(Erwin Olaf)による肖像がバーの壁に掛かり、若きゲーテとリリーを現代に蘇らせる。

ロビーとレストランを繋ぐ通路もただの廊下でなく、セラミックアートギャラリー空間のよう。ロビー上階のミーティング & イベントフロアでは、古代ギリシャ彫刻風のスターウォーズのキャラクター像で話題をさらったフランスのアーティスト、トラヴィス・ダーデン(Travis Durden)作の異彩を放つ肖像シリーズ「悪党どもの頭蓋骨」に歓迎されて、一瞬ぎょっとした。

バーカウンターの「カンサス」スツールを始め、ベルベットのミッドセンチュリーモダンなチェア等、ホテルの椅子類の多くは、ポルトガルの最高クオリティーのインテリアブランドBRABBUで特製された。

3Fから6Fに客室(119ルームに31スイートの全150室)が配され、120㎡のプレジデンシャルスイートには、フランクフルトを一望できる130㎡ものプライベートテラスまで付いているとのこと。TVの存在は部屋の美感をどうしても妨げてしまうが、ここではその問題の1つの解決方法が開発された。TVを見たいときだけ、開けばいい、ゲーテのファウストをモチーフにしたアートが、まるで壁にグラフィックを飾ってあるかのように、モニターを目隠しするというアイデアだ。洗面 & シャワールームと部屋の廊下やベッドルームとのパーテーションに配された2つの引き戸、両方を全開したり、片方だけ閉じたり、両方閉じたり、その開き具合や閉じ具合も様々で、ユーザーが好きな開閉状態にできて楽しい。

そしてサン=テグジュペリの『星の王子さま』が、ベッド脇のナイトテーブルに置かれているのに思わず「オー!」と声を上げて感激してしまった。「本質的なことは目ではみえない、心で見ないとね」何十年振りかでそんな素敵な言葉の数々を再読し、穏やかな気持ちで眠りにつくことができたのだった。

ドイツ

2017/03/01

ザ・ウェスティン・ハンブルク(ドイツ・ハンブルク)

今年の1月に、ガウク大統領やメルケル首相も参席して、グランドオープニングを祝ったばかりのエルプフィルハーモニー・ハンブルク。エルベ川の水上に誕生したこのスペクタクルなコンサートホールは、建築(ヘルツォーク & ド・ムーロン)も音響設計(豊田泰久)も奇跡的と絶賛される。旧埠頭倉庫の煉瓦造りのインダストリー建築を土台に、音楽のためのガラスのカテドラル(高さ110m)が空に向け大きく波立つ。このハンブルクの新しいランドマークは、そこに寝泊まりできるというのも他のコンサートホール施設ではありえないことだ。エルプフィルハーモニーに一足先立ってホテル「ザ・ウェスティン・ハンブルク」は、昨年11月にオープンした。ハンブルク市の公共建築をホテル会社が20年契約でリーシングという形も珍しいだろう。つまり実際には、ホテルのインテリアも市の所有だということだ。建築の南東部分がホテル(全244室)になっている。

エルプフィルハーモニーは、欧州最大のウォーターフロント再開発事業であるハーフェンシティの西の先端に君臨する。ファサードのデジタルアートもエキサイティングなエルプフィルハーモニーへのエントランス同様に、ホテルへのエントランスも建物東側のドイツ統一広場に面する。8Fに位置するホテルのレセプションロビーまで、ホテル客専用の直通エレベーターが利用できる。荷物を部屋に置いたら、是非ともまた下のエントランスに戻り、今度は一般客が利用するルートで改めて8Fのロビーに入ってみよう。到着先が見えず、未来へのタイムトンネルのような「チューブ」と呼ばれるエスカレーターで、地上37mの8Fの「プラザ」に出る。20世紀の倉庫の屋上と、21世紀のガラス建築との間に、ダイナミックに形成された公共のプラットフォームだ。他のどこでも経験できないハンブルクの眺めを楽しみながら、ぐるりと一周できるパノラマウォークも観光客には大人気。ホテルロビーはガラスウォールで、視覚的にオープンにプラザと繋がる。

インテリアは、大手ホテルチェーンの数々のプロジェクトをこなしてきたベルリンを拠点とするタッシロ・ボスト(ボストグループ)と、ウェスティン・グローバル・デザインチームとのコラボーレーション。エルプフィルハーモニーは政治スキャンダルにも巻き込まれ、10年がかりでやっと完成した紆余曲折のプロジェクトで、ホテルのデザインも基本的には8年前にほとんど決まっていたのだった。しかしせっかくデザインしたスイートは建築デザインの変更があり、突然空間に支柱が出現し、またやり直しという苦労もあったと聞く。トレンディな要素や、時代精神を強く表現する要素はできるだけ排除して“ピュア”と“ハーモニー”をキーワードにデザインされた。このホテルの主役は窓やファサードガラスからの眺め。インテリアはその眺めを妨げることがない一歩も二歩も下がった控えめなデザインなので、ホテルのインテリアにも建築に匹敵する先鋭なデザインを期待すると、物足りなくちょっとがっかりするかもしれない。「インテリアは世界文化遺産にも指定されている歴史的な美しい倉庫街や、新しいハーフェンシティにエルベ川を走るクルーズ船、この唯一の周辺環境への敬意の表れでもあります。」とデザイナーは言う。

ホテルのロビーから続くバー「ザ・ブリッジ」(The Bridge)では、シャープな建物のエッジに位置する“キャプテンテーブル”と呼ばれるコーナーが最も眺めがいい。このレベルはクルーズ船やコンテナ船のブリッジと同じ高さで、船長の視線を追体験できるのだ。レストラン「ザ・サフラン」(The Safran) は、嘗てコーヒー、紅茶、タバコを貯蔵していた倉庫内7Fにできた。インテリアも名前が示唆するように、様々な香辛料や香草からイメージされた色彩やマテリアル感に満ちる。オリジナルデザインの照明には漁師が使っていたオマール海老捕獲用の籠にインスピレーションを受けたものもある。空間を巧くセパレートする彫刻的なコラムは錆びを帯びたような表面で、ハンブルクの港の船やクレーンの鉄鋼のマテリアルを連想させる。レストランからもプールからも土台となる倉庫の小さな四角い窓は、港のワンシーンをモチーフにした写真を額に入れた作品のようでもある。

客室には様々なタイプのスイートが39室あり、スイートの数が多いのも特徴だ。今回はスイートの中で最もコンパクトな“エルプフィルハーモニー・スイート”(46㎡)を予約した。ハーフェンシティから市街までの景色が広がる正面ファサード側の部屋。特にハンブルクで生まれ育ったヘニングさんには、ハンブルク人にとって象徴的存在である聖ミヒャエル教会を見下ろせるのが感動的とのことだった。最先端テクノロジーを駆使して実現可能になったリズミカル & メロディアスな曲面ガラスのファサードが、まさに自分の部屋の天井から床までのパノラマウインドウとなる。部屋からの眺めと自分の手で触れるガラスのファサードの美しさ。ガラス面のドットパターンは、直射日光の量を調整する機能がある。小さな楕円窓は開けることができ、カモメの鳴き声や汽笛の音が時折かすかに部屋に入ってくる。インテリアは水、空気、風、土、砂といったエレメントからイメージを膨らませ、くくり付け什器は「ストラクチュアと色彩が川水にさらされた木のタッチを醸し出すように」木の表面加工を開発したという。静謐でナチュラルなトーンにまとまり、波の造形もディテールに見られる。

デザイナーのボストは「バスルームのデザインがホテルの部屋の良し悪しを決定する」と断言していた。バスルームはバスタブからの眺めがまた素晴らしい。外から見られることはないので、カーテンを引く必要もなく、露天風呂気分で夜景を満喫できる。

エルプフィルハーモニーでのコンサート&ホテル宿泊、音楽ファンには一度だけでもいいから経験したい、忘れられない1日になるだろう。ただしこれを実現するには。1つの難関を突破しないといけない。目下のところあまりの関心の高さに、コンサートチケットは発売と同時に即完売になってしまうのだ。

ドイツ

2016/09/01

アルテス・シュタールヴェルク(ドイツ・ノイミュンスター)

ノイミュンスターは、バルト海と北海に挟まれるドイツ最北端の州、シュレースヴィヒ=ホルシュタインの小都市。19世紀には「ホルシュタイン地方のマンチェスター」と異名をとるほど、繊維や皮革産業で繁栄していたという。21世紀の今日は、ノイミュンスターと聞くと、まず頭に浮かぶのはデザイナー・アウトレットセンターぐらいで、正直なところ何も見所がないイメージ。ハンブルクからは1時間もかからないが、ハンブルク育ちのヘニングさんでさえ、一度も行ったことがなかったのだった。それがこのユニークなビジネス&ライフスタイルホテル「アルテス・シュタールヴェルク」(旧製鋼所)と、ひっそりと息づくプライベートの美しい彫刻公園の存在を知って、前から計画していたリューベックへの週末旅行を急遽ノイミュンスター経由にしたのだった。

「旧製鋼所」という名前からも察しがつくように、前世紀の重工業の残骸をホスピタリティー空間へと再開発したホテルだ。レンツブルガー通りのホテルのエリアは、1926年に建設された「ノルディッシェ・シュタールヴェルク(北の製鋼所)」の工場だった。この製鋼所は、船舶や大機械のパーツを生産していたが、2001年に閉鎖を余儀なくされ、その後は施設の廃墟化が進んで行った。金属目当ての泥棒が後を絶たず、グラフィティアーティストには、願ってもいないクリエーションの場となり、秘密のパーティー会場となり、インダストリー廃墟独特のロマンにファッション雑誌の撮影にも使われたりした。ついに放火による火災事件で建物崩壊が危惧され、解体の決定が下り、2008年にディベロッパーのヤン・ピンノとシュテファン・ヨハンゼンが800万ユーロを投資し、再開発プロジェクトを発足させたのだった。2012年に客室やセミナー&イベント用の新築2棟と、オリジナル建築のレストランの計3棟から成るホテルコンプレクスが完成する。

建物の大半は、保存状態が悪く取り壊さなければならなかったが、かつては砂吹き付け機で鉄鋼パーツが研磨されたホールは再利用可能で、迫力ある天井採光のアトリウム的大空間に、コンプレクスの心臓部となるレストラン&バー「摂氏1500度」(1500 Grad Celsius)ができた。毎月ドイツの人気シンガーソングライター等のコンサートも開かれる。旧製鋼所の歴史を暗示すべく、スチールの溶点の温度を名前に選んである。走行ウィンチ台車なども残り、工場建築独特の魅力を今に伝える。建築家のヴィレム・ハインとトーマス・ラーデホフは、古いインダストリー建築への敬意を忘れず、旧製鋼所から放たれる無二の雰囲気を、未来へも心地よく残すことをコンセプトに、元来は力強い男達が汗だくで労働に勤しんだ場所を、今のライフスタイル表現の場所に変貌させる課題へと挑んだ。現場のインダストリー廃墟の美が、デザインのインスピレーションの源だった。

インテリアは、キール・ムテジウス芸術大学の学生を対象にしたコンペで集まったアイデアを活かして、デザイナーのラインホルト・アンドレセン(在デンマーク)が担当。オリエンテーションデザインとしての館内のコンクリート壁をクールに彩るグラフィティが楽しい。トイレもルームナンバーのグラフィティも凝りに凝っている。これらはインテリアデザイナー(愛称ナージー)と、イギリス人のアーティスト、ブラッド・ショーン(愛称ショーニー)のコンビ「NASH」のなせる技だった。研磨ホール内のトイレで男性と女性の手洗いコーナー間のパーティションのデザインが、新しいコミュニケーションの可能性を生んでいる。モザイクのようにレーザーカットした錆スチール板の孔から向こう側で手を洗っているゲストと思わずチラリと顔合わせ。その予期せぬ瞬間に誰もが笑ってしまう。この出会いが縁で、いつかカップル誕生となるかもしれない。

7階建ての新築客室棟は、S、M、Lの3サイズのダブルルームと、XLのスイート3室で、計100室。パープル、オレンジ、グリーンとフロア毎にテーマカラーがあり、部屋のインテリアはインダストリー文化をコンテンポラリーに解釈したデザインに仕上がっている。ベッド上の壁にも飾られている写真シリーズは、ノイミュンスター在住の写真家、マリアンネ・オープストの作品。

ドイツ

2013/11/01

シュタイゲンベルガー グランドホテル ハンデルスホフ ライプツィヒ

今までドイツの様々な都市で年越しを経験したが、改めて色々思い出してみると最も心静かに1年を振り返り、清々しい気持ちで新年を迎えることができたのはライプツィヒだった。ライプツィヒでの1年の締めくくりは、大晦日午後1時半に、バッハ縁の聖トーマス教会で少年合唱団の天使の歌声に耳を傾けることから始まる。夕方5時にはゲヴァントハウスに向かい、ベートーベンの第九を聴いて心を引き締める。そして夜10時に再びゲヴァントハウスで年越し特別プログラムのパイプオルガンコンサート。バッハのトッカータの響きがまだ耳に残る中、ゲヴァントハウスのガラス張りのロビーからは、アウグストゥス広場で打ち上げられる新年祝賀の花火が華やかに眼前で飛び散るのだった。今回紹介する「シュタイゲンベルガー・グランドホテル・ハンデルスホフ」(5つ星)と「アルコーナ・リビング・バッハ14」(4つ星)は、そんなライプツィヒの年末年始やこれからシーズンになるクリスマスマーケットを楽しむのに絶好のロケーションなだけでなく、その建築やデザインがライプツィヒの文化史を物語ってくれ、ライプツィヒにしかありえない素敵なホテルだ。

グランドホテルとして生まれ変わった「ハンデルスホフ」は、元は1908年から1909年にかけてライプツィヒ市が建設した見本市宮殿だった。ゲオルク・ヴァイデンバッハとリヒャルト・チャンマーの2人の建築家が、ライプツィヒで初めて当時最先端の鉄筋コンクリート構造を使った建物だった。第2次世界大戦の犠牲になるが、戦後再建され、高級家庭用品やテキスタイルの見本市で賑わっていた。1991年に見本市会場という本来の建物の用途を失った後は、造形美術館の展覧会場として利用されたこともある。シュタイゲンベルガーグループが、新しいグランドホテルに蘇生させる計画がスタートしたのは2005年のことだった。2011年4月にホテルがオープンするまで、破壊されたオリジナル建築の威厳を取り戻す根気強い修復再生作業が続いた。

デザインはライプツィヒ出身で、現在はロイトリンゲンで事務所を開いているコルネリア・マークス=ディーデンホーフェンに一任された。インテリアデザイナーにとって夢のようなホテルプロジェクトを実現するチャンス、それも偶然にも生まれ故郷でのプロジェクトで意気込みも違ったという。「全ては歴史からデザインを引き出しています。ライプツィヒは深い歴史を持つ街、その歴史を呼吸するデザインをコンセプトにラグジュアリーホテルに相応しいアトモスフィアを創造しました。」

メインエントランスを入ると、まず壁のグラフィック模様に目が奪われ、思わず立ち止まってしまう。このパターンにも、ライプツィヒの歴史が詰め込まれているのだ。ミンクのパターンには、当時ライプツィヒが世界的な毛皮取引の中心地で、ブリュール通りだけで800近い毛皮商が軒を並べていた歴史が象徴され、紳士の顔は、ライプツィヒのユダヤ人社会のために貢献した毛皮王ハイム・エイティンゴンの生涯を物語る。

ヴォールト天井のエントランスホールの床には、赤いガラスのモジュールがはめ込まれ、内蔵されたセンサーでゲストの足取りに反応し、ライプツィヒで長年過ごし、数々の名曲を生んだバッハの音楽が聞こえてきたりする。この通路右手がレセプション、左手が客室へのエレベーター & 階段室に繋がり、生け花の香りに惹かれるように真直ぐ進むと、ラウンジ & バーのアトリウム空間が開ける。大理石のレセプションカウンターの背景となるライティングウォールのデザインが衝撃的でさえある。羊皮紙がアーティスティックにコラージュされ、光の効果で紙の重なり部分が影になり、本を積み重ねたようだ。ライプツィヒが書籍印刷技術と書籍取引の中心だった歴史が暗示される。床には樫材のヘリンボーン(魚の骨)のパーケットフローリングを施してある。天井は漆のような光沢で空間を写し、広く感じさせてくれる。カウンターから光る文字は、ゲーテの『ファウスト』からの一節。「ここではおれも人間だ。人間らしく楽しんでいいのだ。」若きゲーテは法律を学びにライプツィヒに来た。しかしゲーテは学業よりも恋愛や酒場での楽しみの方に熱心だったと伝わる。ライプツィヒの酒場も舞台となるゲーテの『ファウスト』はここだけでなく、例えば地下のスパのモザイク壁にもデザインエレメントとして、色々な形でホテルのインテリアに引用されることとなる。

ゲストのリビングルームとして構築されたのが建物5階の吹き抜けのダイナミックなガラス屋根の空間だ。バーで、カフェで、ティールームで、ラウンジで、ヒップなクラブにもなる。奥の1段上がった暖炉のあるラウンジは、メタリックな輝きのファニチャーがファッショナブルだ。

ブラッスリー「ル・グラン」はザクセン地方の伝統料理と南仏スタイルの料理を提供する。

ラウンジからブラッスリーへのコリドールにはガラス張りのヴィノテークも用意されて、ワイン試飲会も開かれる。

客室階へのエレベーター前に、レクラム文庫本をマテリアルにしたオブジェが示唆するように、ライプツィヒは日本なら岩波文庫に相等するだろう黄色いレクラム文庫の故郷(1867年ゲーテの『ファウスト』で創刊)でもあるのだ。また2階の朝食レストランは、ゲヴァントハウス管弦楽団と、昨年創立800周年を祝い来日公演も大成功だった聖トーマス教会合唱団とに捧げた。

客室はスーペリア123室、デラックス40室、ジュニアスイート4室、スイート9室と、プレジデンシャルスイートがある。建築的条件からつくりが同じ部屋は2つとない。同じダブルルームでもホテルの裏側のナッシュ広場に面した最上階の部屋がお薦めだ。歴史的な建築彫刻のバルコニーに出ると、ルネッサンス建築の旧市庁舎が目の前に現れ、見下ろすと旧交易会館証券取引所前に、若き日のゲーテ像も見えるのだ。部屋のインテリアは、ベッドヘッドの白黒のオークの葉っぱを織り上げたパターンがとても大胆だ。焦げ茶や茄子紺色といった暖かい色に、荘厳のゴールド、神秘的な黒と独特のカラーコンビネーションもセンスが光る。バスルームと部屋の間の壁は、バスタブのフォルムに沿ってカーブしている。ブラックとゴールドのモザイクに、ゴージャスな大理石のバス。ひねった短冊のようなガラスのペンダントライトが揺れ動くようなフェミニンなタッチを加える。しかし全く予期していなくてバスルームに入った途端に、視線が釘付けになったのは、トイレとシャワーの左右2枚のガラスドアだ。トイレに使うとは何事かと、ゲーテ信奉者には怒られるかもしれないが、『ファウスト』のテキストをプリントしたドアが忘れられない。

シュタイゲンベルガーグループのホテルはフランクフルトのフランクフルターホフ、デュッセルドルフのパークホテルを利用して、なんだか1970年代の最高級が埃かぶったままのようで全く趣味にあわず、実はもう20年ぐらいシュタイゲンベルガーホテルは避けてきたのだった。しかし近年は老舗を全面改装したり、スタイリッシュなホテルをニューオープンしたり、イメージアップに成功し、ブランドの将来が明るくなってきている。
(注:『ファウスト』からの引用は中公文庫手塚富雄訳)

ドイツ

2013/01/15

ダス・ストゥエ(ドイツ・ベルリン)

ベルリンの旧デンマーク大使館がホテルになるという着工ニュースに本当?と驚いたのが、もうかれこれ3年も前のことだった。当初は2010年内に竣工というプランだったのだが、建物が歴史的建築保護法下に置かれているために、予期せぬ問題が生じたり、途中でインテリアデザインの方向転換を図ったりして、プロジェクト進行が遅れに遅れてしまった。そしてやっと2012年12月にベルリン最新のデラックスブティックホテル「ダス・ストゥエ」(5つ星)がグランドオープニングを迎えた。パトリシア・ウルキオラをパブリックスペースのデザイナー & 芸術ディレクターに迎え、時間をかけたかいがあったと頷ける、期待を裏切らないデザインクオリティーを達成している。

ホテルの名前になっている“ストゥエ”とは、デンマーク語で“リビングルーム”を意味するとのこと。ホテルは、ベルリンのための「最上のドローイングルーム」をクリエートしたいという思いで実現された。ベルリンの新しい“サロン”の誕生だ。デラックスホテルでも隠れ家的でアットホームな雰囲気に包まれる。このホテルはスペイン、アンドラ、パナマで建設業にかかわる某3家族が不動産管理会社WHIMを設立して共同投資した。オーナー家族は匿名希望。ヘルムート・ニュートン、フィリップ・ハルスマン、リチャード・アヴェドン、F.C.グンドラッハなど、錚々たる写真家の作品がホテル内の壁を飾っているのだが、その数えきれない1950年代、60年代のファッション写真も、オーナー家族のプライベートコレクションである。

ホテルはベルリンの緑の心臓部の中に位置する。フロントファサード(幅60メートル)は、ティーアガルテン公園に面し、ドラーケ通りの曲がり具合に添って緩やかに弧を描く。ホテルの半円の建物は、公園とベルリン動物園に挟まれる形で、昼間なら裏庭から向こうのダチョウに挨拶したくなるくらいだ。ティーアガルテンは各国の大使館が集まっている地区で、ホテルの西側はスペイン大使館に隣接している。ウルキオラもスペイン出身、レストランはスペインのミシュラン2つ星シェフ、パコ・ペレスの指揮下にあり、スペイン尽くしの一角になった。

威厳を放つネオクラシックな石造建築は、1938年から1940年にかけて、デンマーク王国大使館として建設された。建築家はヨハン・エミール・シャウト。ベルリンの老舗百貨店KaDeWeもシャウトの設計である。正面中央に見える大きなバルコニーのある階がベル・エタージュで、嘗ては大使のレジデンスであり、現在はこのホテルのスイートである。第二次世界大戦後、西ドイツの首都ボンに大使館が移転してからも、デンマークは将来ドイツ再統一でベルリンに戻る場合を想定して、1978年まで不動産を維持し、自国の軍事使節館、領事館に利用していた。しかしドイツ再統一の夢は消えたと判断したのか、住宅公団に売却処分してしまう。空き家状態が続いた後、ドイツ郵便やドイツテレコム社が利用したりしたが、2005年には再び空き家になってしまった。そして2009年にホテルを蘇生させたいという救い主が現れたのだった。

ホテルへの改築 & 増築は、アネッテ・アクストヘルムが主宰するポツダムの建築事務所、アクストヘルム・アーキテクツが担当し、歴史ある大使館建築の厳格さと、軽やかで動きあるコンテンポラリーな空間構成とを結合させた。ガーデンサイドの新築棟には、写真をコンクリート表面に転写するフォトクリートで、フローラル文様のファサードが旧館と好対照を成している。

エントランスホールでゲストはまず、迫力あるブロンズ製のワニの頭に歓迎される。このワニだけでなく動物園のお隣さんというわけで、ホテル内では色々な動物オブジェに遭遇することになる。革のカバやサイ、カラフルなワイヤーのキリンやゴリラ、ユーモラスに動物オブジェが挨拶してくれるかのようだ。エントランスは、昔のお城なら馬車が通り抜けただろう表から裏まで、細長い通路ホールなのがユニークだ。実際、大使館時代には、裏のガレージへと自動車が通り抜けるようにできていたそうだ。吹き抜けの天井からは何百ものLEDライトのインスタレーションで、光の波が押し寄せるドラマチックな演出だ。その光が降り注ぐ中を奥へ奥へと視線が誘われる。旧館と新館を繋ぐトンネルのようなレセプションエリア、そこを抜けると、ラウンジバーと三角形のオールデイダイニング・レストラン「ザ・カジュアル」が現れる。

パブリックスペースは伝統とコンテンポラリーとが溶け合い、適度にフォーマルで、適度にカジュアルで、適度にインティメイトだ。インテリアには「贅沢だけど物質的な意味での贅沢ではなく、一種の“オーギュメンテッド・リアリティ”(拡張現実)と言える、一瞥しただけではわからないラグジュアリーさが、たくさん鏤められている」とウルキオラは言う。エントランスホールの左手にはショーキッチンのファインダイニング・レストラン「シンコ(5)」。ここに圧倒的なデザインが待っているので、食事をしなくても、オープン前にぜひ空間見学をおすすめしたい。数えきれない銅製鍋や銅製ランプ(トム・ディクソンのカッパーライト)が天井からぶら下がり暖かく光を反射する磨き上げた銅の雲のような群像が構成された。この銅鍋ライトインスタレーションの下で、30品で構成されるムニュ・デギュスタシオンを味わえる。

客室は5つのカテゴリーに分かれ、57室 & 23スイートの計80室。ベルリンの大都会のど真ん中にいるとは思えない部屋からの眺めが贅沢だ。動物園側の部屋からは、カンガルーやプルツェワルスキー馬が見えることもある。今回泊まったのは大使館建物の最上階(5F)の“エンバシールーム”。ダブルルームでもバスタブ付き、それは広いテラス付きの部屋だ。客室のインテリアは、バルセロナのデザイン事務所LVGアルキテクトゥーラが手がけている。焦げ茶のダークなフローリングの床に白、ベージュ、グレーを基調にすっきりと、クッションやマットの鮮やかな色や模様がビビッドなアクセントを添える。この部屋の動物オブジェはカラフルなキリンだった。デンマーク大使館ということでアルネ・ヤコブセンのチェアも欠かせない。パノラマウィンドーで、ティーアガルテン公園の森林への眺めがいい。冬で木の葉が茂っていないので、テラスからは戦勝記念塔の金色の勝利の女神ヴィクトリアが光って見えた。気温はマイナス7度だったが、ダウンコートの上から部屋にあった毛布にくるまって、手袋もして、スパークリングワインで乾杯した。

窓の向こうにはビルも何もないので、ガラス張りの壁のバスルームでもカーテンを開けたまま、裸で平気だ。テラスに雪が白く積もっているのを眺めながら、雪見酒ならぬ雪見風呂を楽しむこともできる。水栓金具やバスタブはノーケン社(ポルセラノーサ)のスタイリッシュなデザイン。水の温度や水量の調整にシングルレバーの動かし具合が微妙だが慣れると簡単だった。シャワーヘッドのフォルムはまるでスマートフォンみたいだ。アメニティはイギリスのギルクリスト & ソームズ(“ロンドン・コレクション”)。冬なので小さなリップバルサムも置かれていたので助かった。

私達は向かい通りに駐車していたのだが、夜の間に雪が積もってしまっていた。翌朝帰りに雪をどける作業をしていると、サービスにドアマンが走りよってくるのが見えた。ホテルのスタッフのユニホームはドアマンもベルリンで注目のオーダーメードの紳士服ファッションブランド“ダンディ・オブ・ザ・グロテスク”でクリエートされたもの。せっかくのおシャレなジャケットが雪で真っ白になってしまい、なんとなく恐縮してしまった。

ホテルの滞在で唯一の問題は部屋のテレビだった。部屋にはテレビはなく、マックのコンピューターが用意されている。私達二人は夜のテレビのニュースを見ようとしてもチャンネルに到達できない。悪戦苦闘の上に手順をマスターしたら、ニュースはもう終わっていた。私達は毎日マックのコンピューターで仕事をしているからいいけれど、高齢の御婦人などは、生まれて初めてのマックのコンピューターとリモコンに、目を白黒させてしまうのではないかな。

ドイツ

2012/05/07

QFホテル・ドレスデン(ドイツ・ドレスデン)

「エルベ河岸のフィレンツェ」とも称される芸術と音楽の古都ドレスデン。旧市街と新市街を結ぶエルベ川に架かるアウグストゥス橋の上から、歴史的建築物のシルエットと、その上空に打ち上げられる花火との大絵巻を眺めながら迎える新年は格別のものだ。元旦にはドレスデンの象徴的存在であるフラウエン教会(聖母教会)で、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」のコンサートがあり、晴れやかに新春を迎えることができる。ブティックホテル「QFホテル」は、フラウエン教会を囲む形で広がるノイマルクト広場に面し、フラウエン教会のお隣さんという絶好のロケーションに、2007年3月にオープンした。ゼンパーオーパー(ザクセン州立歌劇場)、ラファエロの門外不出の傑作『システィーナのマドンナ』があるアルテ・マイスター絵画館、まばゆいばかりの宝物館「緑の丸天井」など、ドレスデン観光ハイライトへ歩いてすぐで本当に便利だ。

今のホテルの場所には元々創業1804年という老舗ホテル「シュタット・ベルリン」(ベルリンシティの意)があり、嘗てドストエフスキーやショパンも滞在していたという。しかしこの歴史に残るシュタット・ベルリンは1945年のドレスデン大空襲で破壊されてしまう。QFホテルはその跡地に建設され、ドレスデンでは最も洗練されたインテリアのホテルだ。QFは「Quartier an der Frauenkirche(クヴァルティエ・アン・デア・フラウエンキルヒェ=フラウエン教会クオーター)」の略で、ホテルは同名のショッピングモールとコンプレクスを形成する。再建プロジェクトでは、うぐいす色のファサードのデザインに昔の建物の特徴を取り入れることも重要視され、角の部分も当時のように独特のアールを描いている。

全欧の設計事務所を対象としたデザインコンペで、ローマの「ホテル・エデン」や「グランドホテル・デ・ラ・ミネルヴァ」を始め、各国で数多くのデラックスホテルを手掛けてきた著名な建築デザイナー、ロレンツォ・ベリーニのコンセプトが選ばれた。“ドレスドナー・バロック”と呼ばれ、ドレスデン特有のバロック建築が建ち並ぶ旧市街の中で、ローマ生まれのイタリアンシックな空間コーディネートを満喫できる。ロビーは壁の燻し銀の渋い輝きに包まれ、メタルとガラスのエレベーターシャフトが円筒状の吹き抜け空間をシャープに昇降する。光天井を見上げると、柔らかい曲線の白い光輪が渦巻いて天に昇るかのようにドラマチックだ。夜はコージーな雰囲気のバー&ラウンジで、世界最北のワイン産地ザクセンのワインを味わってみたい。朝食は最上階6F、テラス付きの明るいカフェバー的空間でいただく。市松模様のモダンなガラスの壁の席が素敵なのだが、あえてそこには座らず、距離を置いて眺められる別の席にした。というのもフラウエン教会の「石の釣り鐘」とも呼ばれるドームが見えるように開けられた窓を発見したからだ。壁が額縁となり、絵画を鑑賞する印象だ。

コンテンポラリー&エレガントなインテリアの客室は全95室あり、うち3室が各々にスタイルの異なるスイートで、最も眺めのいい最上階に位置する。トラディショナルな「クラシックスイート」、おしゃれでワンルームの「ブティックスイート」、広場を眺め下ろす「ノイマルクトスイート」から選べる。家具に使われている木やファブリックの素材からアイボリー、グレー、マロンクリーム、アースカラーといった色使いも、ドレスデンでの見切れないほどのミュージアム見学疲れの後で、上質なくつろぎを約束してくれる。バスルームには、イタリア産の天然石がとても贅沢に使われた。フラウエン教会の砂岩を思わせる淡いトーンの石だ。ブティックスイートは部屋自体が57㎡で、それに53㎡もの驚くほど広いテラスが付いているのも魅力だ。そしてこのテラスからはフラウエン教会、宮廷教会の塔やレジデンツ城の屋根、美術アカデミーのガラスの円蓋まで視線が届く。フラウエン教会は米英連合軍によるドレスデン大空襲の犠牲となり、東西ドイツ再統一で再建事業が本格化し、11年もの歳月を経て再びその美しさを取り戻した。日が沈んで夜の闇となるまでの間の全てが深い青に包まれる時間、その青の時間にテラスからフラウエン教会のドームを眼前にすると、鐘塔からハレルヤコーラスが響いてくるかのようだった。

ドイツ

2011/04/01

ハイアット リージェンシー デュッセルドルフ (ドイツ・デュッセルドルフ)

今年2月にグランドオープンを祝ったばかりのハイアット リージェンシー デュッセルドルフ。19階建てのスーパーモダンなビルは地元のJSKアーキテクテンが設計。

歌謡曲のヨーロッパ選手権、或いはヨーロッパ諸国対抗歌合戦とでも言えるかもしれないが、毎年5月には欧州放送連合の主催でユーロビジョン・ソングコンテストが行われる。第56回目を迎える今年はドイツが開催国で、その開催都市に選ばれたデュッセルドルフにもスポットライトが当たっている。

「ハイアット リージェンシー デュッセルドルフ」は去る2月11日にグランドオープンを祝ったばかりで、デュッセルドルフにかつてなかったカッティングエッジな5ツ星ホテルだ。ライン川の半島の先端というウォーターフロントのロケーションもスペクタクルで、19階建てのビルはライン川の対流に立ち向かうかの勇姿をみせ、ガラスのファサードは黒く光を反射する。コンクリートの階段広場を挟んでホテル棟とオフィス棟のツインビルが並ぶ。ライン河岸と半島を結ぶ新しい橋とツインビルも地元のJSKアーキテクテンが設計した。ホテルのある一帯は、昔はライン港として繁盛していた。しかし重工業時代が終わり港も寂れてしまう。近年になってメディエンハーフェン(メディアハーバー)という都市再開発プロジェクトが成功し、250ヘクタールに及ぶ港地区がクリエイティブでファッショナブルな街に変貌してきた。ハイアット リージェンシーは、メディエンハーフェンの新しいランドマークでもある。

アムステルダムのデザイン事務所FGスティル(コリン・フィネガン主宰)がクリエートしたインテリアは、総じて“アーバン雅び”とでも言えるだろうか。優美な中に港独特の雰囲気、活き活きしたストリートの空気が混じっている。レストランやバーはガラスのフロントが80mも続き、自然光とライン河岸やデュッセルドルフ旧市街の風景がたっぷり空間に取り込まれる。ころんとして未来的なパビリオン建築が、半島の最先端から頭を出し、眩しいほどシルバーに輝いている。外観からしてアートギャラリーか何かと想像したが、「ペブルズ」というシャンパンラウンジだった。ペブル=石ころ、岸辺の石ころをイメージしたわけだ。パブリックエリアのキャットウォークのカーペットに泡が浮上し、客室階の廊下のカーペットに葦が茂り、ロビーの壁にはアリャン・ファン・アレンドンクの絵で花が咲き乱れるように、石ころだけでなく、水辺に生える葦や花の数々、水泡、水面と光の戯れ、、、デザイナーは川という自然からインスピレーションを授かったようだ。自然の木の幹と思っていたコーヒーテーブルが、ロビーの椅子に腰掛けて近くで見ると大理石だったり、小さなデザインサプライズも待っている。

「カフェD」といってちょっと隠れているが、ホテルの従業員のためのセルフサービスのカフェが、一般にもオープンで気軽に利用できるシステムにちょっと驚いた。お世話になるスタッフと肩を並べて、ロングテーブルで朝のコーヒーやお昼の定食を楽しめる。今までホテルでお目にかかったこともない、けれどとても素敵なホテル側からのアイデアだ。

デュッセルドルフには日本企業が多く進出し、ドイツ最大の日本人コミュニティが形成され、デュッセルドルフ旅行を“プチ帰国”と呼ぶ人もいるくらい、日本人のいないデュッセルドルフはもはや考えられないほど日本とは深い結びつきがある。そんな背景もあってかロビーでは市松模様のゴールデンボックスに日本の絹織物や漆塗りが連想されたり、食器にも使われている蝶々のモチーフに『蝶々夫人』のイメージが重なったりと和の要素もインテリアに見え隠れする。

ドックス・レストランの寿司バーは1970年代の映画の宇宙ステーションみたいにレトロフューチャーでこんなカウンターでお寿司を食べたことはなかったので一瞬心が動いたのだが、やっぱりインマーマン通りの「匠」で北海ラーメンに決めた。肌寒い中行列に並んで、実は数年振りで生麺の味噌ラーメンを堪能させてもらった。ホテルの寿司バーの白いインテリアには、ざる蕎麦など器もデザイン的にマッチすると思う。ラーメンとまではいかなくてもドイツのホテルでいつの日かざる蕎麦を食べられる日が来るのを夢見てしまうのだった。

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