HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

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20件

2010/04/15

ファン・デル・ファルク・ホテル・ヒルデスハイム(ドイツ・ヒルデスハイム)

ヒルデスハイムは家から車で30分もかからずに着いてしまう。大聖堂(樹齢1000という薔薇が茂る)と聖ミカエル教会という世界文化遺産が2つもあるのだが、こう近いといつでも出かけられると思っているうちに、かなりの御無沙汰をしてしまっていた。そうしたら今年は聖ミカエル教会がなんと設立1000年を迎える記念の年というニュースを聞いて、ヒルデスハイムで週末を過ごす決意を固めた。「ファン・デル・ファルク」はヒルデスハイムの街の中心にあるそれは美しいマルクト広場に面した唯一のホテル。広場には中世の木組みの家から4世紀に渡る建築スタイルが肩を並べ寄り添う。1945年に空襲で破壊された広場は、1980年代に職人技術の粋を尽くしてファサードが戦前の状態に復元された。広場の北側、ホテルは可憐なロココ様式のスタッコ装飾が特徴的な「ロココの家」を真ん中に、左の17世紀の「シュタットシェンケ(町酒屋)」と右の16世紀の「毛織り職人組合の家」という木組みファサードの3棟が繋がっている。「ロココの家」は幅がたった8m、淡いピンクとグレーの愛らしいドレスをまとった華奢な貴婦人のような建物だ。

前に来た時は「ロココの家」のファサードにまだイギリスの旧フォルテ・ホテルズの青いマークが目立っていたのを覚えている。2006年にオーナーがオランダのファン・デル・ファルクに変わってそれから大規模なフェイスリフティングが行われ、ヒルデスハイムが誇る世界遺産と広場の美しさに相応するホテルが誕生した。
1939年ファン・デル・ファルク夫妻がオランダのフォールショーテンにレストランを開業したのが現在オランダ最大のホテルガストロノミー会社の始まりだった。

夫妻は11人もの子宝に恵まれ、第2次世界大戦後に事業を広げていった。今では孫、曾孫の世代が経営陣。ブランドと切っても切れないシンボルマークになっているのが動物園などでも人気者の巨嘴鳥(オオハシ)だ。ファルクという名字の意味からすると鷹や隼の鳥がシンボルマークで当然ではないかと思ったが、終戦後に鷹をマークにしてはナチスドイツの第三帝国の鷲の紋章のイメージと重なりすぎてしまうことを恐れたのだそうである。巨嘴鳥は鮮やかな色彩の大きなクチバシを持つ熱帯地方の鳥で、人懐っこくフレンドリーな性格がホテル業にもぴったりだ。

マルクト広場からホテルに入ると、外観からは想像もつかない奥行きの深さに驚かされた。ロココ時代に典型的な岩や貝を象ったロカイユ装飾にモダンなエレメントを加味してネオロココなサロン風の空間がまず待っている。左手のちょっとキッチュなシルバーの光沢ある男神像のコーナーはバーへ、右手の女神像のコーナーはレストランへと続く。チェックインをしにメインエントランスホールへと奥へ抜けていくと、最初は天井が低かったのに砂岩のアーチ構造の先には突然2層吹き抜けで、木張りの天井や練鉄の巨大なシャンデリアなど中世からの歴史と木工職人芸を感じさせる重厚な空間が開けた。上のギャラリーは書棚もあるライブラリーになっている。茄子紺色のウォッシュ加工されたベルベットのチェアやメタリックブルーのレザーのチェアといった異分子的素材と色のアイテムがクラシックな木と革のナチュラルブラウンな全体を小気味よくブレイクして現代と繋げている。

木組みの「毛織り業者組合の家」の1階がレストラン「ギルデハウス」。朝食もここだ。もう少し暖かくなれば広場にもテラス席が出る。北ドイツの大農家の古い屋敷からのオリジナルの内装が運ばれ、中世の趣ある木の天井や壁には見事な彫り細工やインレイ細工が施されている。純白で光沢あるレザーの椅子やレース模様のモダンなランプが好対照をなし新古が調和する。今回はジュニアスイート宿泊と3コースのディナーに朝食込みが2人で180ユーロというアレンジを予約してみた。メニューから選んだのはスターターにサーモンのカルパッチョとグリルした山羊チーズのサラダ、メインにアルゼンチン産ブラックアンガス牛のランプステーキとラインハルツヴァルト産ニジマスのムニエル。デザートにはグラン・マルニエ風味けしの実パルフェ、アルマニャック入りドメスチカすももコンポートとホワイトチョコレートソース添えとブラッドオレンジのタルト、ベリーコンポートとレモンシャーベット添え。広場を眺められるジュニアスイートに泊まれるなら満足と食事の方はどうせパッケージだからとあまり期待していなかったらその全く逆で大満足させてもらうことになった。

昔の「町酒屋」だった木組みの家の1階がお酒と葉巻を楽しめる「ハヴァナ・バー」と「シガーラウンジ」になっている。壁には鏡板を張り、紫のカーペットとカーテン、牡丹色のベルベットのチェアに黒いネオバロックなシャンデリアの下で映画に出てくる昔の娼館の雰囲気もちょっと漂うゴージャスさ。ドイツでは公の建物内や飲食店内での喫煙は禁止されているので、ホテルのシガーラウンジのように喫煙可能な施設は酒と煙草を切り離せない人には救いの場に違いない。

ファン・デル・ファルクがホテルを譲り受けてから74室のリニューアルが終わって、エレガントなインテリアでバスルームも快適な部屋に変貌している。客室のカテゴリーはクラシック、スーペリア、デラックス、エグゼクティブ、ジュニアスイートと5つあり、暖色系にまとめた部屋、トルコブルーのモダンな部屋、白黒&シルバーを基調にしたクラシックな部屋、ベージュ系の落ち着いた部屋、ロマンチックな装飾柄の部屋などが揃う。全109室のうち33室が広場に面していて窓からの眺めがいい。ジュニアスイートはコンテンポラリーかクラシックかインテリアのスタイルを選べるが、「ロココの家」のフロントに位置するコンテンポラリーな方のジュニアスイートを是非ともお薦めしたい。ロンドンやバルセロナなら普通だろうが、ヒルデスハイムだから部屋の中のクールで未来的な世界と窓向こうの歴史世界とのギャップにホテルのファサードがタイムトンネルにも感じられてくる。

これまでも何度か空間構成がデュプレックス(メゾネット)の部屋に泊まったことはあったが、どのホテルでも下のスペースはリビングや水まわりで、階段を上るとベッドルームというスタイルで、このように一番高いレベルにバスルームがまさに君臨しているのは初めてで驚嘆してしまった。ワオー!ガラスウォールを使い可能な限り部屋に対してオープンな作りだ。部屋より数段下がっていてトイレやクローゼットを配したエントランスエリアの上が洗面&バスになっている。ウォークインスタイルで広々と明るいシャワー&バスのブース。ヘッドシャワーが2つ仲良く並んでいて夫婦でおしゃべりしながら同時に朝の目覚ましシャワーを浴びられる。スタルクのデザインしたフリースタンディングのバスシャワー水栓を使うのも初めてだった。水栓から勢いよく流れるお湯のサウンドが実に爽快だった。

お風呂に入りながら部屋を見下ろせる。ガラスのバルコニーで歯を磨きながら部屋を見下ろせる。本当に色々な眺めを楽しめる部屋だ。黒いベルベットのラウンジチェア、テーブルの上の白い花瓶に黒い造花のアレンジとか、暖炉のようにTVをはめ込んだ壁の赤く繊細な装飾画や、バスタブ外側のTANGOのグラフィック、黒い長いフリンジのランプシェード、真っ赤なサテンのクッション、ブラック&ホワイトを基調に鮮烈な赤をアクセントにしてレトロフューチャーなデザインに仕上がっている。

部屋のドア脇のカウンターデスクのトップとミニバーとの間にコーヒーのセルフサービス用にオレンジ色のポットとカップのセットが用意されていた。ハンブルクの1866年創業の老舗コーヒー会社、J.J.ダルボーフェンのだ。実際には使わなかったのだが、ホテルの部屋で不意にこんな小さなステキな物を発見すると特に女性はとても機嫌がよくなるものではないか。

チェックアウトしてホテルを出ると丁度土曜日だったのでマルクト広場は花屋さん、肉屋さん、八百屋さん、魚屋さんetc...が並ぶ青空市場でにぎわっていた。毎週水曜と土曜に青空市場が立つ。近郊の畑で今朝収穫したばかりという葉っぱもみずみずしい蕪が出ていた。ホテルで過ごしている間はなぜか意識の外にあったのだが、30kmしか離れていないハノーファーから来ているのを思い出して夕飯にでもと蕪を一束お土産に買ったのだった。

ドイツ

2010/02/15

カメハ・グランド・ボン(ドイツ・ボン)

ドイツ再統一後のベルリン遷都でかつての首都ボンはその影が薄くなってしまっていたが、昨年の11月15日、“デザイン界のロックスター”と称されるマルセル・ワンダースを起用したデザイングランドホテル「カメハ・グランド・ボン」がオープンして久々に脚光を浴びることとなった。ライン河の古城ホテルもいいけれど、クラシックなグランドホテルを新解釈するライン河の未来城ホテルもまた別の魅力でいっぱいだ。

ホテルはボン・ヴィジョン不動産開発会社が1億ユーロを投資したプロジェクトで、旧ボン・セメント工場跡地を再開発し、ボンの新しい街区「ボンナー・ボーゲン』を建設する事業の中核を成す。この土地で150年前にドイツ初のポルトランドセメントの国内生産が始まったのだった。ホテリエのカーステン・K・ラート氏はケンピンスキー、ロビンソンクラブを経てアラベラ・スターウッド社長に就任したこの道20年の権威である。その地位を捨てて「私の経験と私のビジョンのコンポジション」たる理想のグランドホテルを実現すべく4年前にライフスタイル・ホスピタリティー&エンターテインメント・グループを設立し、新スタートを切った。ある日突然9歳の息子に「パパともっと一緒にいたい、パパが海外出張しなくていい会社を作ろう」と言われて胸が痛んだことが一つの原因だったとか。

「カメハ」は“唯一の”“類いない”という意味を込めて、ハワイのカメハメハ王からとった名前という。透明な大きな鐘のシャンデリアが光り、まるでロシア皇帝の戴冠式を告げるかの鐘の音を視覚的に響かせる。まずは「ライフ・イズ・グランド」というホテルのモットーに出迎えられる。ガラスとアルミニウムの透明なファサードの宇宙船のような建物はボンの建築家カールハインツ・ションマーの設計で、ライン河岸に折り返す波からイメージされたという。ホテルの中心でありダイナミックなガラス屋根のイベントホール「カメハドーム」は高さ28m、1700人は収容でき空港の新しいターミナルでも不思議ないスケールの空間だ。

インテリアのスタイルは“コンテンポラリー・バロック”とも言えるだろうが、カーペットから壁紙までインテリアのエレメントにホテルのシンボルマークである「カメハ・フラワー」の文様がありとあらゆるバリエーションで登場する。デザインコンセプトについてワンダースはこう語る。「典型的なコンファレンスホテルは実用的だけど退屈極まりないもの。でもコンファレンスホテルだってエキサイティングで楽しくて、刺激的であるべきだと思う。カメハはリラクゼーションとインスピレーションの場、ビジネスしながら5つ星のリゾート感覚を味わえるはず。驚きと美しさと緊張感に満ちて、セクシーでクールな場所なんだ。ガラスのファサードの建築は蛇行するライン河とボンの街を一望でき、素晴らしい透明感を持つ。この建築のモニュメンタル性と開放性をキープしながらも暖かく親密感あるホテル空間をクリエートするという課題に挑んだ結果がカメハのデザインなんだ。」1階のパブリックエリアでは劇場の緞帳のような黒いカーテンがたくさん使われ、各々の機能空間を適度にクローズすると同時に適度にオープンにし、柔らかいカーテンのドレープのヴォリュームが華やかな文様と共に建築の硬度をダウンさせる効果を発揮してもいる。

「バロン・フィリップ・ドゥ・ロスシルド」のラウンジでは他ではボトルでしかオーダーできない最高級のワインをグラス単位で楽しめたり、敷居の高くないグランドホテルという方針が伺われる。

そしてサステイナブルで環境に優しいグリーンホテルなのもカメハの重要なコンセプトの一つだ。1000万ユーロをかけて地下に帯水層蓄熱システムを備えた地熱発電施設を完備し、冷暖房を始め消費エネルギーの70%をエコロジカルに自給でき、二酸化炭素年間排出量400トンを削減できる計算になる。このグリーンテクノロジーは希望すれば見学可能である。

赤と黒の強烈な色彩の廊下を抜けて真っ赤なドアを開け客室に入る。客室はスーペリア、プレミアム、デラックスの190室。スイートの63室にはライン河絶景ルーフテラス付きスイートもあれば、ボンに縁あるベートーヴェンの名曲をプログラムした電気自動ピアノ付きの「ベートーヴェン・スイート」とかテーブルサッカーで遊べる「フェアプレイ・スイート」とか面白いトピックをインテリアに組み込んだスイートも含まれる。部屋は夜になると大判の黒い抽象絵画を入れたような額のベッドヘッドにデザインポエジーが隠されている。照明のスイッチを入れるとお月様が黒い額の中の夜空にホワッと現れる。ライン河岸のホテルの部屋で御月見とは尋常でない風情がある。御月見しながら夢を見られるように枕のポジションをベッドの足元の方に移して寝る方向を逆にしたくなる。

デザインホテルでは、部屋のスイッチのデザインは素敵だけど、スイッチの方が使う人間より知的すぎてか、凡人が理解するまでに面倒なことがあるけれど、ここではどれがどのスイッチなのかオンかオフかもわかり易く英語と独語でスイッチ一つ一つに一言説明付記してあるのが些細なことだがとても親切に感じられた。

バスタブ上の壁一面を埋める幻想的な写真アートもゲストの記憶に必ず焼き付くだろう。赤い優雅なドレスをまとった金髪のモデルが水の精のようにふんわりと水中を浮遊する。『ニーベルングの指環』で世界を支配する力を持つという“ラインの黄金”をライン河底で守る美しい乙女達のイメージにも重なる。ロンドンを拠点に世界のファッションブランドやファッション雑誌の仕事をこなす著名なアンダーウォーター写真家ジーナ・ハロウェイの作品である。バスルームは現場仕上げでなく全てできあがって梱包されたボックスとして運ばれ設置された。静かな排水音という点でも徹底している。また黒い試験管のようなアメニティの容器にもデザインのディテールへのこだわりが察せられる。

アトリウムに面した4階の部屋だったので、実際に1階パブリックエリアの床の上を歩いている時は白黒の幾何学模様としか気がつかなかったのだが、そのタイル張りの床がカメハフラワーの文様を拡大したモザイク画だと窓から見下ろしてやっとわかった。アトリウムには高さ4mのゴールドの植木鉢に高さ9mの樹が茂る。その一つに梯子がついていて植木鉢の上でプライベートなカクテルパーティーも開けそうだ。部屋が4階なのはスパにエレベーターを使う必要がなく部屋で水着に着替えてバスローブのままで出かけられて便利だった。マイナス10度の外気でもめげずに屋上の温水プールに急いだ。他にこんな物好きはいないのかインフィニティー・プールもライン河とジーベンゲビルゲ山地の眺めも独り占め。真っ赤なプールの底の中央に黒いカメハフラワーが満開している。プールの縁に亀のように首だけ出して見下ろすと日没のライン河が黒く流れていた。

「ピュアゴールド・バー」は黒とゴールドに統一され、深夜になると雰囲気がまた格別だ。カウンター背後のゴールドの壁が“ラインの黄金”のごとく鈍く照らし出される。ライン河の水の中で揺れて光るかに微々と動く。ガラスのショーケース・テーブルで頬杖をつきながらラストオーダーのウィスキーグラスを傾ける。そういえば、ホテルのオープニング前に最初に泊まったゲストがドイツのサッカーのナショナルチームだった。対チリ親善試合を数日後に控え11月10日に張り切ってホテル入りした代表選手達はディナーの席でゴールキーパーのロベルト・エンケ投身自殺という予期せぬ悲報に愕然とする。キャプテン、ミヒャエル・バラックがロビーに佇み、肩を震わせて涙ぬぐう姿をファサードのガラス越しにキャッチした映像があの日の夜にTVのニュースで流れていた、、。ウィスキーグラスを置くガラスのテーブルの中では大小数えきれないクリスタルがキラキラと輝いている。バーボンのブラントン・ストレート・フロム・ザ・バレルのグラスが空になった夜更けには、クリスタルはサッカースタジアムで鋼鉄のハートを持つ男達が盟友のために流した大粒の涙に見えてきたのだった。

ドイツ

2010/01/15

インサイド・バイ・メリア・ミュンヘン・パークシュタット・シュヴァービング(ドイツ・ミュンヘン)

アウトバーン9号線で北からミュンヘンに入る。未来的なサッカースタジアム「アリアンツ・アリーナ」が見えてくると「これでミュンヘンに着いた!」という実感が湧いてくる。しばらくすると超モダンなガラスの高層建築ビル「ハイライト・タワーズ」とお目当ての「インサイド」ホテルも視界に入ってきた。アウトバーンを降りてすぐのところにミュンヘンの新興集団住宅&オフィス街「パークシュタット・シュヴァービング」が広がる。ホテルのあるのがミース・ファン・デル・ローエ通り、他にもオスカー・シュレンマー通りやヴァルター・グロピウス通りとバウハウス縁の建築家や芸術家の名を付けた通りが揃いそれだけでなんとなく楽しくなってきた。オリンピック公園に隣接するBMWの新しいブランドセンター「BMWワールド」見学にはもってこいのロケーションだ。ガラスとスチールの渡り橋で繋がる双子のようなハイライト・タワーに5階建てL字型のホテルブロックとハイライト・フォーラムからなるコンプレクスは、バイエルン地方出身の世界的な建築家ヘルムート・ヤーンが率いるシカゴのマーフィー/ヤーン建築事務所の設計だ。ヤーンはこの1月4日に70歳の誕生日を迎えられたそうだ。
ホテルは去年滞在した時はまだ「インサイド・プレミアム」という名前だったが、建築環境、機能性、デザインのどれもがファーストクラスであることを“プレミアム”という表現に託したホテル哲学が根底にある。
インテリアはロンドンのヤーン・リコーリア・デザインスタジオ (www.jahnlykouria.com) が手掛けた。ロビーのフローリングにはめ込まれた蛍のような小さな光点を配するアイデアに始まって、ビジネスホテルのアノニマス性を逸脱してビジネスブティックホテルとでもいうパーソナルな雰囲気の環境作りに成功している。1990年代半ばから続いているヤーンと若手デザイナーのヨルゴ・リコーリアとのコラボレーションが実り、ファニチャーやフィッティングも彼らのオリジナルデザインが揃う。ロビーやハイライトバーのラウンジチェア「ブッダ」はモローゾ社、部屋のデスクチェア「ナラド2」はミュンヘンのクラシコン社でプロデュースされた。
ブレックファストルームでもあるホテルの地中海風料理レストランのファニチャーは白に統一されピュアな空間、夏はスタイリッシュなハイライトバーでハイライトタワーズに向かって、カジュアルなチーク材のファニチャーで寛げるテラス席が人気だ。全160室の洗練されたデザインのモダンアート・スタジオとスイート。シーズンオフには朝食込みが100ユーロ以下で利用できる嬉しい日もある。窓からアウトバーン9号線と走る車の波が見えるのも「BMWワールド」見学のプレリュードみたいだ。ドアをつけずにオープンな“リビングバスルーム”のコンセプトが客室デザインの最強ポイントだろう。ベッドエリアとのパーティションが適度な目隠し効果を発揮する乳白色のフロストガラス・ウォール。バスルームの照明をつけるとバスルーム全体が部屋の照明器具の一つと化したようで、洗面台上の四角い鏡のシルエットが美しく浮かび上がりモダンアートとして鑑賞したくなるくらいだった。デスク脇のメタル製の荷物置きスペースにも実用性とデザインがパーフェクトに一体化している。
ホテルではロビー、レストラン、フロア、客室と全館通してコンテンポラリーなアートワークに導かれる。最初は若手の写真アーティストの連作だろうと思っていたが、よく見ると何か別の秘密がありそうで、スタッフに聞くとジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの水の精や人魚姫の絵画をヤーン&リコーリアがコンピューターで異化させたデザインアートだと謎解きしてくれた。ウォーターハウスはイギリス19世紀のヴィクトリア時代を生きた前ラファエル派の画家。アルプスの山々に囲まれ、海や水とはイメージが繋がらないミュンヘンのホテルの壁に神秘の水が静かに流れていた。

ドイツ

2009/11/24

アルコテル・カミーノ(ドイツ・シュトゥットガルト)

フォルクスワーゲンの自動車テーマパーク「アウトーシュタット」(所在地:ヴォルフスブルク)が大成功しているのに負けてはいられないと、この数年で他の自動車メーカーもこぞって新しいミュージアムやブランドセンターを開設している。今年の夏は4泊で4ブランド(メルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ)のスピリットを連続体験するドイツ車ツアーを試みた。ロマンチック街道ならぬ"アウトー街道"だ。私のように機械音痴でテクノロジー音痴な人間でも、歴代のモデルを熱心に鑑賞している旦那様を邪魔することなく、未来的な建築やドラマチックな展示空間の演出だけで文句なく楽しめた。
さてハノーファーを早朝に出て、まずシュトゥットガルトへ向かいドイツを縦断。1泊目のホテルは「カミーノ」。「カミーノ」とは聖ヤコブの墓を詣でに、フランス南端のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからピレネー山脈を越えスペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう約800kmもの巡礼路のこと。このホテルは今年設立20周年を祝ったオーストリアのアルコテル・チェーンに属する。プロジェクト毎に各都市の歴史文化に根ざしたデザインコンセプトを実践しているチェーンだ。今は亡きアルコテル創立者ライムント・ヴィンマー氏が生前に巡礼を敢行したそうで、ホテルが巡礼の旅路の出逢いの場、休息の場のような心温まる場であってほしいという氏のビジョンに捧げたプロジェクトである。ロビーの壁にも巡礼者の姿を描いた大きな絵画が掛けられ、チェックインでようこその代わりに巡礼者達が互いに掛け合う言葉「ボン・カミーノ」(よい巡礼の旅を)と挨拶されてもおかしくない。ここが自動車文化巡礼の旅の始まりに思えてきた。
ホテルは中央駅から歩いて数分と交通の便もいい。市街からメルセデス・ベンツ博物館へ向かう国道27号線上のハイルブロン通りに面している。歴史を感じさせる左右対称的な建物が中央のモダンな塔の新築で繋がる。表通りからもラウンジの吹き抜けホールを照らすシャンデリアのピンクのゴージャスな輝きについ目を引かれる。古い建物は19世紀末に鉄道職員と郵便局職員のために建設された団地「ポスト村」の浴場&洗濯場であった。他の建物は第二次世界大戦で焼けてしまったがこの2棟は戦火を逃れる。2005年に着工しオープニングは2008年1月。(設計:フランクフルトのクリストフ・メクラー建築事務所)
ウィーン応用美術大学でデザインを教えているハラルド・シュライバーがインテリアを担当、アルコテルと長年に渡りコラボレーションしているクリエーターだ。巡礼路の土の色合いを反映したファニチャー類もシュライバーのオリジナルデザイン。カーテンやカーペットも特注で各々のテーマにあったグラフィックが目と足下を楽しませてくれる。サンティアゴ巡礼者のシンボルである帆立貝("ヤコブの貝")を石鹸入れに使って、バスルームにもほのかに巡礼のテーマをアレンジしている。
シュトゥットガルトはミース・ファン・デル・ローエやル・コルビジェといった20世紀を代表する建築家達の白い近代建築が立ち並ぶ住宅団地も有名だ。この1927年に一般市民のために建設された「ヴァイセンホーフ・ジードルング」はモダニズムの建築デザインの理想を体現していた。ホテルのレストランが「ヴァイセンホーフ」なだけでなく、客室にもこのテーマを取り上げた部屋がある。私達が泊まったのはスタンダードのダブルで"カミーノ・コンフォート"のカテゴリー。ベッドに置かれたグレーのクッションや白いカーテンが20世紀のデザインプロダクトやデザイナー家具の数々がイラストされたパターンで驚いた。夕食で街へ出る前にまずはカーテンとにらめっこして、誰のデザインかわかるか夫婦でデザインクイズ合戦に熱中してしまった。
時間節約のためホテルで朝は食べないことにしていた。部屋の壁にまるで小さなアートオブジェのように用意されている赤いリンゴが嬉しい。リンゴのメタルのホールダーにはよく見ると「よい一日を」と何気なく暖かい言葉が刻まれている。まだ東京にいた頃の和裁の先生が「朝一番のリンゴ1個が健康のもと」と話していたのを思い出した。ガブリと一かじり。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり眠気も完全に覚めた。これでビタミンも確保したし、いざ自動車ミュージアム見学へ出かけるとしよう。

ドイツ

2009/09/15

プライズオテル・ブレーメンシティ(ドイツ・ブレーメン)

新聞社の文化部の仕事は文化イベントが週末に開催されることが多く、週末だからお休みというわけにはいかない。本当は仕事のはずだったヘニングさんが土日続けてオフになった。突然の朗報に逆になんとなく拍子抜けしてしまったのだが、快晴が続くという天気予報に家でぐずぐずしていてもと金曜の仕事を終えそのまま北へ向けてドライブに出た。ブレーメンならちょうど夕飯時に街に着ける。ホテルは泊まるだけだから余計な贅沢は要らない。こんな時に嬉しいのが新しいトレンドになっているバジェットホテルだ。とりわけ低料金でハイデザイン、ハイコンフォートを提供するホテルコンセプト。ブレーメン中央駅裏手の「プライズオテル」はダブル素泊まりで64ユーロ(シングル59ユーロ)。この料金でデザイン界のスーパースター、カリム・ラシッドがトータルデザインしていると聞けばもう何も文句なし。朝食ビュッフェが8ユーロ50セントだが、中央駅のコーヒースタンドやベーカリーを利用すればもっと安くすむ。見本市会場や市民公園もすぐで、世界文化遺産のローランド像や市庁舎へも徒歩圏内で、ビジネスにも観光にも便利なロケーションだ。

オフィシャルなホテルの格付けシステムでは2つ星スーペリアだけど、デザイン価値は遥かに上のクラス。カリム・ラシッドが“デザイノクラシー”(デザイン+デモクラシー)の精神に則り、「エリートやお金持ちだけのためではない、みんなのためのヒューマンで楽しくて美しいハイクオリティーのデザイン」を目指して取り組んだプロジェクト。ディベロッパーのマティアス・ツィンマーマンと経営者のマルコ・ヌスバウムが超個性的なバジェットホテルの構想を練った。2007年末にドイツ鉄道からテオドーア・ホイス通りの土地を購入し2008年春に着工、今年2月にオープンした。ヌスバウム氏はデザイナーとのコラボレーションを振り返ってこう語る。「すごくインスパイアされましたね。こちらのチャレンジ精神が湧き上がる。彼の言葉は深い知識に裏付けされていて、それは数えきれない事を学ばせてもらいました。」将来はドイツ国内にチェーンを展開したいと意欲満々だ。

5階建てのビルのファサードは特に周囲の環境からはそう際立つこともない。落ち着いた色のリズミカルな幾何学模様。ホテルのロゴマークが大きくプリントされたガラスドアが開く瞬間からデジタルポップなカリムワールドが幕開けする。フワンとF1レースのサーキットをコンピューターで変形したかの不思議な黄緑色のロゴはプライズオテルの頭文字「P」の象徴だ。ロビー、朝食レストラン、カフェバーを一体化したラウンジがゲストのコミュニケーションの場となる。パーティー、イベントにも多目的に使える。
ホワイト、紅紫、桔梗色、シルバー、、色彩をセレブレーションする空間。非線形、不定形のオーガニックなフォルムのファニチャーで、レトロなSF映画かコミックの世界から抜け出たようでもある。夜にホテルに戻ってきたグループは見るからに60代半ばというおばあちゃんばかりでそれが何の違和感もなくクールなラウンジで寛いで生ビールを飲んでいた。

不思議な魅力の女の子の写真が夜はラウンジをあたかも宇宙の旅へと誘うのだが、この謎の美女が誰なのかは秘密とかで教えてもらえない。秘密と言われるとますます知りたくなってくる。この謎の瞳にはバーボンのグラスが似合いそう。朝食レストランと客室にアレンジされたシャープな白いスタッキングチェアは、カリムが自分の原点ともいえるエンジニアリングに立ち戻ってポリカーボネートのマテリアルを最小限に使って最大限の強度を獲得するにはとリサーチした結果生まれた。クリスタルカットの輝きを放つデザインだ。
客室(全127室)は16m2だが、明るい白いファニチャーの宇宙ステーションのゲストルームでもいいような空間で、鏡を効果的に配して小さめの部屋も小さく感じさせない。部屋から電話やミニバーを排除したのも料金を押さえるのに助力している。携帯電話を持たないゲストはまずいないだろう。デスクランプにはアイポッドをドッキングできる。ベッドのマットレスは最高品質で寝心地抜群だった。TVをはめ込んだ壁のミラーオブジェ、アシンメトリックなデスクとソファのエレメントやソフトなラインのベッド、デジタルパターンのカーペット、壁を飾るカリムのアートワークもホテルのための特別エディションだ。部屋とバスルームの間の壁の窓に取り付けられた横顔の切り絵のような鏡も他ではお目にかかれない。バスルームではトイレ側の壁の鏡との遊戯で、鏡の中で鏡が無限に増殖していく視覚効果が楽しめる。シャワーはレインフォレストで爽快な朝が確約されている。

翌土曜日はブレーメンの郊外へ出た。白樺の並木道を抜けて、今から1世紀前に花咲いた芸術家村ヴォルプスヴェーデに向かう。北国の浪漫の風が頬に心地よい。この日の宿は藁葺き屋根の愛らしいペンション「ハウス・トゥリパン」。チューリップをあしらった農民風の素朴な木の家具も、カリムのブーゲンビレアの花(花言葉は「情熱」)をデザインしたプラスチックのインダストリー・プロダクトも一見違うようでそのインパクトは同じ。時代精神やテクノロジー、美感は変わっても、生活と美の融合を求める理想は今のカリム・ラシッドのようなデザイナーも昔のハインリヒ・フォーゲラーとその仲間達の芸術家も変わりないのだ。

ドイツ

2008/12/19

グランド・ハイアット・ベルリン(ドイツ・ベルリン)

赤いポインセチアの生花で造形したクリスマスツリーに孔雀が戯れる。壁にかかる青いフレームとのコントラストも鮮やかだ。泊まったのは去年の大晦日だったのだが、グランドハイアットベルリンのロビーに飾られたこのクリスマスツリーがハイセンスで、せっかくだからクリスマスの時期になったらお見せしようと1年間写真をキープしておいた。壁の青いフレームはドイツのアーティスト、ゲロルド・ミラーの作品、絵画と彫刻の境界線にある定義しがたいオブジェクトだ。グランドハイアットベルリンのロビーや会議・宴会用フロアではダイムラー・アートコレクションから厳選されたコンテンポラリーアートが空間と対話し理性的な空間に彩りある緊張感を与えゲストの感情を刺激する。

ホテルは赤みを帯びた砂岩のファサードで8階建ての建物、3年の工期を経て1998年10月にグランドハイアットのヨーロッパ進出第1号としてオープンし、今年10周年を迎えた。プリツカー賞に輝く建築家ラファエル・モネオの設計で、インテリアはハンネス・ヴェットシュタインがデザイン、スペインを代表する建築家とスイスを代表するデザイナーとの異色のコラボレーションが実ったホテルだ。このホテルを利用するのは初めてではないのだがレセプションに向かう途中でまたしても思わず立ち止まってしばしモネオが仕掛けたガラスの採光構造を眺めてしまった。ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィット・フリードリヒの「氷の海」に描かれた氷が天井を突き抜け建築に突き刺さったかに鋭い。そしてオパールの宝石の柔らかい光をロビーに導いてくれる。

このグランドハイアットはベルリン国際映画祭のメイン会場があるマレーネ・ディートリッヒ広場に面し、映画祭の期間中はプレスセンターが設けられ、NYの建築家トニー・チーが改装した会議・宴会場でスターの記者会見も行われる。ベルリン・フィルハーモニーも目と鼻の先、TVでも生中継される大晦日恒例のジルベスター・コンサートに出かけるにはベスト・ロケーションだ。ベルリンのカルチャーライフに欠かせないだけでなく、スポーツ界でも人気のホテルだ。ディレクターのヒュルスト氏によると「2006年のW杯でスタッフ全員が熱烈なサッカーファンになってしまった」そうで、地元サッカーチーム「ヘルタBSC」ともパートナー契約を結んでいる。

ホテル屋上の「クラブ・オリュンポス・スパ&フィットネス」のプールは10年前も今もベルリン一の眺めのいいプールだ。ここでプカプカしながら新年を迎えるのもいいかと思ったのだが、残念ながら通常通り22時でクローズ、例外は許されなかった。屋上からベルリンの街中で打ち上げられるニューイヤーの花火を堪能するにはホテルのレストラン「ヴォックス」で大晦日の特別プログラムを予約しないといけないということ。朝食は「ヴォックス」だけでなくロビーの暖炉のあるラウンジに続く「ティツィアン」や2階の「ライブラリー」の3箇所から好きな場所を選べる。「ヴォックス」のバーはドイツの有力グルメ雑誌『ファインシュメッカー』から今年のベスト・バーに選ばれている。ジャズ、ブルースの世界的ミュージシャンの写真を背景に夜はライブ演奏で雰囲気も格別。バーに揃っているウィスキーのリストが240銘柄と一体どれを試そうか真剣に悩んでしまった。

ハンネス・ヴェットシュタインの客室(全342室)のデザインはさり気なく上質感をアピールする。フロアとバスルーム間、ベッドルームとバスルーム間の二つの扉を開けると全スペースがオープンに繋がる。壁にはベルリンのバウハウス資料館蔵のバウハウス・アーティストのアヴァンギャルドな写真が7点、ベルリンの黄金の1920年代のスピリットが伝わってくる。バスルームはグレーの大理石と桜材をコンビネーション。曇りガラスの引き戸の奥がトイレだ。ユニークなのは透明ガラスの引き戸を開けて入るバスタブ&シャワーのコーナー、まるで日本のお風呂場のようにバスタブ前の床面をビチョビチョにできるホテルのバスルームは珍しい。洗面コーナーにまでTVが付いていてこれだけは視覚的にちょっと邪魔ではないだろうか。

ヴェットシュタインはスイスデザインの伝統を受け継ぐデザイナー、そのデザインはマテリアルにフォルムを与えるというよりはマテリアルにヴァリューを与えるプロセスと言えるだろう。数ヵ月前に癌との闘いに敗れ50歳で惜しまれて亡くなったが、グランドハイアットにも彼ならではの精密で慎み深いデザインがあふれている。私がヴェットシュタインを初めて取材したのはデザイナーの希望でチューリヒからベルンへのスイスの汽車の中でだった。ヴェットシュタインは天国でもデザイナーという終着駅のない汽車の旅を続けているのかもしれない。

ドイツ

2008/08/20

エンパイア・リヴァーサイド・ホテル(ドイツ・ハンブルク)

ここザンクトパウリはハンブルクの波止場に近い歓楽街。私がハンブルクに住んでいた1980年代は今回紹介するエンパイア・リヴァーサイド・ホテルのようにハイエンドな社交の場が将来できるとは想像にも及ばない落ちぶれた雰囲気で、脂ぎった肌の船乗りが一夜だけの快楽に耽るといった頽廃的な小説の舞台にぴったりの街だった。

ホテルは元バヴァリア・ザンクトパウリ・ビール工場敷地の一画に新築された。100年以上も美味いビールが醸造されていたが、数年前に工場は閉鎖されその広大な跡地が今年の末までの完成を目指し“ハーフェンクローネ(港の王冠)”という新しい街区に再開発されている。ホテルからはビートルズが1960年代初頭にキャリアをスタートさせたカイザーケラーや伝説のスタークラブがあった場所もすぐで、ビートルマニアのハンブルク旅行にはうってつけである。

エンパイア・リヴァーサイド・ホテルはエクステリアもインテリアもデヴィット・チッパーフィールド・アーキテクツの設計で、去る6月27日に国際的に権威ある建築賞“RIBA(王立英国建築家協会)ヨーロピアン・アワード”を獲得した。ブロンズ(120トン)とガラス(6300m²)のファサードは垂直のラインを強調したストラクチャーが特徴だ。ファサードのマテリアルがメタルでなければならないというのは最初から確かだったが、何のメタルを使うか決断するには長い時間がかかったそうだ。周辺の古い建築物のマテリアルや街の景観にマッチする素材感と色彩のメタル、歳を重ねることでより深みの出てくるメタルを求めブロンズに辿り着いた。日が落ちてくるとエルベ河の対岸の彼方に沈む光を受けてブロンズが炎の輝きを見せる。ロケーションがホテルに与えてくれた贅沢、それは北海に向けて流れるエルベ河とハンブルク港のスペクタクルな眺め、この眺めをゲストにも満喫してもらうデザインがコンセプトの基本にあった。このプロジェクトのデザインディレクターを務めたクリストフ・フェルガーは言う。「難点のあるロケーションの場合、ホテルはインテリアをスペクタクルにしないと魅力ないが、ここでは外の景色を最大限に演出するために控えたデザインが要求された」。

ホテルのロビー、ラウンジ、バー、レストラン、コンファレンスルーム、ボールルームといったパブリックにオープンなスペースは4レベル吹き抜けのエントランスホールを囲みオープンな構造で、各スペースが視覚的に繋がれとてもオリエンテーションし易い。おとなしい空間になり過ぎるのをブレイクする要素が色で、強烈な紫色のカーペットがテラゾ(bitu Terazzo)の床に映える。ラウンジバーの「David's」はてっきり建築家の名前をつけたものと早合点していたのだが、本当はザンクトパウリの目貫き通りであるレーパ-バーンとホテルを結ぶダーヴィット通りに由縁していた。ラウンジではタイ出身の通称トゥクさんがクリエートする“ニュースタイル寿司”が人気。私の隣の席でも奥様風の4人組がアフタヌーンティーならぬアフタヌーン寿司にワイングラスを傾けていた。

究極のハンブルク夜景はホテルの最上階(20F)に位置するスカイバー「20up」が提供してくれる。このペントハウス・スイートを配さずビール1杯で誰でも利用できるバーにしてくれて有難い。あっという間にハンブルクっ子のハートを奪ってしまったそう。実はホテルに泊まったのはドイツ歌謡界の大御所ウド・ユルゲンス(ペドロ&カプリシャスの昭和時代のヒット曲、『別れの朝』原曲の作者)の音楽を盛り込んだ新作ミュージカルがホテルから歩いていける劇場でプレビューだったから。それが去年の12月1日で、ホテルは11月1日にオープンしていたが、いさんでエレベーターの20階を押して出たらなんとバーはまだ足の踏み場もない状態で工事の真最中で入ることも写真を撮ることも無理だった。(ということでスカイバーの写真はございません!)

さて客室へは真っ白い壁と天井に真っ赤な床という紅白のお目出度い廊下を歩く。カンヌ映画祭のレッドカーペットみたいだが、私には緋毛氈に見えてそうしたらなぜか茶巾寿司の味が懐かしく思い出された。全328室の85%の部屋からエルベ河と港の景色が楽しめる。客室には4カテゴリーあるがスタンダードのリヴァーサイドルーム(234室)の広さは25m²とコンパクトだが無駄がなく、スモーク風合いのオーク材の家具で色を押さえてニュートラルに仕上げ、シンプル&クリアーな飽きのこないデザイン。リゾートホテルと違い1泊か2泊だけの利用客がほとんどのホテルでは、どこに何がありどう機能するかが一目瞭然でわかるかどうかが部屋の居心地を大きく左右する。「エッセンシャルに立ち戻って、ハイテクでなくどちらかというとローテクで、デザインしてないのではと印象を与えるほどにデザインを見せない。」(クリストフ・フェルガー)

ホワイトとグレーのモザイクに統一されたバスルームではやはり開閉にスペースを必要とするトイレやシャワーの扉が不要なデザインで広々と感じられる。ただシャワーを浴びるとどんなに気をつけてもどうしてかシャワーエリアもフットマットも越えてかなりの床面にお湯が飛び散ってビチョビチョになってしまいバスタオルで床掃除しないといけなくなったのは大変だったが、、。

インテリアのオーダーメードのテキスタイル素材(Kvadrat社)も興味深い。白いカーテンは見た目にはごく薄手だが裏側が特殊なコーティングで遮光効果が100%だ。客室で一般的な椅子だと座ったり立ったりと椅子を動かす床面の余裕が必要になる。空間節約の目的も兼ねて2人で座れるベンチというアイデアが浮かんだ。昔からの農家の台所の食卓の構造にも似て落ち着く。ダークグレーのマイクロファイバーを張ってありバスルームとの境の壁が背もたれになる。港の風景がパノラマウィンドーの額縁の中で刻々と移り変わり、視線は日没のドラマに釘付けになっていた。

ドイツ

2008/07/10

メーヴェンピック・ホテル・ハンブルク(ドイツ・ハンブルク)

ドイツの街では思いもかけない場所に煉瓦造りの古い給水塔を発見することがある。多くは再利用されぬままに建築モニュメントとして残されその扉は閉ざされたままだ。このハンブルクのシュテルンシャンツェ公園にそびえる給水塔(高さ:57メートル)は水の代わりに旅客が眠る「メーヴェンピック・ホテル」(4ツ星)として生まれ変わった。歴史を語るインダストリー建築とコンテンポラリー・デザインがドラマチックに調和する。2007年6月に2年の工期を経てオープン。アンドレ・プットマンのインテリアになるケルンの「ホテル・イム・ヴァッサートゥルム」に続いてドイツで2番目の給水塔デザインホテルである。

今のホテルがある場所には17世紀の三十年戦争の頃からハンブルクを守るべく丘の上に星形の堡塁(=シュテルンシャンツェ)があったが、その堡塁は19世紀始めに壊され後に公園が建設される。地域の給水用に公園の丘に煉瓦の貯水タンクが建設される。都市の急成長に伴い充分な給水を確保するためハンブルクは1907年から1910年にかけて古い貯水タンクを土台にしてヴィルヘルム・シュヴァルツの設計で新しい給水塔を建設する。中には上下に二つの巨大な水槽があった。外の階段を181段昇れば展望台でもあった。ハンブルクのパノラマを実際に当時どれだけの人が楽しめたかはわからないが、、。1956年まで給水塔として使われていたが1961年にお役目を終える。売却され水族館とかシネマとか様々な再利用案が出るがうまくいかず、給水塔の過去と未来を繋ぐホテルへの改造が決まるまで40年以上も経過していた。

給水塔は文化財保護法下にあり公共の文化遺産であるから、建物のオーナーであっても好き勝手に改築することはできない。ミュンヘンのファルク・フォン・テッテンボルン建築事務所と市の文化財保護課との気が遠くなるような交渉もあった。建築ディティールが修復され、ファサードもきれいになり、オリジナルの窓のプロポーションもそのままに客室の窓となった。塔中の古いポンプ装置をデモンタージュ、直径25メートルの水槽は解体した屋根からクレーンで外へ運び、1.5メートルもの厚いコンクリート壁を切り取った部分はそのブロックを塔内で爆破しなければ運び出すことは不可能だった。塔の中軸に建設したエレベーター・シャフトがファサードを支え、これがなければ塔の煉瓦が崩れる日を待つのは確実だったそうである。

ホテルのロビーへのアプローチが凝って演出されている。ホテルの周囲も今まで通りに緑の公園として誰でも入れるように塔内へは丘の下のシュテルンシャンツェの通りから地下エスカレーターに乗る。ウルリケ・ベーマーが仕掛けた神秘的な光と深い水の中で耳を澄ませていると聞こえてきそうな音とのアート・インスタレーション。タイムトンネルのように長いエスカレーター(25メートル)での移動は束の間のあいだ自分が給水塔の中の水を追体験するかのようである。

レセプション、ロビー、ラウンジ、ビジネスセンター、バー「洞窟」、ウェルネスセンターといったパブリックスペースは塔の土台となった19世紀の貯水建築の地下2レベルに広がり、オリジナルの煉瓦のヴォールト天井が修道院の神聖ささえ感じさせる。ホテルのインテリアはロイトリンゲンのコルネリア・マークス=ディーデンホーフェンが繊細な感覚で仕上げた。ガラスのモダンな増築に会議施設やオープンキッチンでカジュアルなレストランが配された。 公園側へのテラス席は、夏は菩提樹の木陰で涼みながらスイス料理を楽しめる。パブリックトイレを覗き見すると、女性用は真っ赤なガラスプレートがボックスのドアとパーティションに使われ、男性用はブラックというヘニングさんからの情報で、スタンダールの「赤と黒」を突然読み返したくなった。

塔が8角柱なので、1Fから14Fまでのスタンダードの部屋は各フロアに16室ずつ、エレベーターシャフトを囲みショートケーキのような部屋がぐるりと並ぶ。3角形の空間が顕著になるのがバスルーム。洗面ボウル(洗面器)の下部構造の扉を開けるとゴミ入れ袋が隠れていて、床にゴミ入れ容器が置いてないだけでもどれだけバスルーム全体がすっきりするかが証明された。部屋はブラウン&ベージュのナチュラルトーンで、アイキャッチャーは自分達の部屋がどこに位置するのかも矢印でわかるが、壁に大きくプリントしてある建築の断面図だ。尖り帽子の屋根の下にジュニアスイート8室、タワースイート2室。予約が入っていたので見学はならなかったが屋根裏の17階のスイートではスタルクのバスタブからハンブルクの夜景を一望できるそう。

ホテルで一番印象に残ったのは何の特別な機能もない部屋へのエレベーターを待つ空間だった。エレベーターのスイッチを押して扉が開くのをひたすら無言で待っているだけのコーナーではない。ロビーの廊下から細い通路を右に曲がる。そのトンネルの床は薄緑に光るガラスでその下に今でも水が貯められ、その水の上の渡り橋を渡るようでもある。通路を抜けるとかつて水槽を支えていた段々構造があたかも発掘された古代の円形劇場のようだ。客席へと誘うように白いクッションが置かれている。どこからか水槽の中にいるかに静かに揺れる水音が響いてくる。気持ちいいなあ、、とエレベーターのスイッチを押すのを忘れてしばし目を閉じるのだった。

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